余計なモノを持たない主義が宗教的に見える訳 ミニマリズムが提供する魅力的な価値のモデル
ベッカー氏との共通性は明白だろう。
「お片付け」という日常の延長線上にあるプライベートな活動に「テコ入れ」をすることで、「レバレッジ効果」のような「ダイナミックな変化」をもたらすことができ、その結果として「幸福な人生」を手に入れることができるという論法なのである。近藤氏の言葉を借りれば、「家の中を劇的に片づけると、その人の考えや生き方、そして人生までが劇的に変わってしまう」(『人生がときめく片づけの魔法〔改訂版〕』河出書房新社)のだ。このようなアプローチは、従来の自己啓発とは異なり、自己啓発とは少しも意識させない、ハードルを感じさせない「ステルス自己啓発」のようなモノといえるかもしれない。
「持たざる者を優位に置く」ある種のヒエラルキー
部屋にある物を徹底的に廃棄し、身軽さを追求する「過激な断捨離」が典型だが、ミニマリズムには、「持たざる者を優位に置く」ある種のヒエラルキーを作り出す面がある。
もちろん、ミニマリズム自体「何もかも無分別に捨てることを称揚する」思想ではない。しかし、いつの間にか「断捨離」行為そのモノが目的化してしまい、どれだけミニマム(最小)になれたかどうかを競い合う人々も出てきている。そこでは、「自分たちはモノに執着するようなレベルの人間ではない」などと露骨に選民意識を告白する者すらいる。これらの背景については、低成長時代という不遇な状況を加味する必要がありそうだ。
ミニマリズムは、いわば「上昇志向」の新しい価値規範として現れているのである。「努力をしても豊かになれない」「お金がないけど成功したい」という埋めがたい現実と願望との開きに引き裂かれた「自意識」を、一気に「救済」する「世の中の常識を反転させた」教義だからだ。そこでは、当然ながら最も美学的に洗練された「待たざる者」が、瞬時に上位のステージへと駆け上がることができる。
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