余計なモノを持たない主義が宗教的に見える訳 ミニマリズムが提供する魅力的な価値のモデル

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ベッカー氏の「ミニマリズムはあなたに自由とよりよい人生を与えてくれるだろう」(前掲書)には、精神的なステージが上昇することが含意されているとみるべきだろう。これが「宗教的」と評される主な理由の1つと思われる。

とはいえ、それは数多ある消費のバリエーションにすぎない。「リッチミニマリスト」や「高級感あふれるミニマリスト」といった言葉がポジティブな意味で用いられ、著名なミニマリストがお気に入りのブランド品だけを使用して生活するなど、一点豪華主義的なライフスタイルを実践しているさまざまな事例からもその片鱗がうかがえる。今年11月に近藤氏が自身の英語版ウェブサイトで、日用品などのネット通販を開始したことが賛否両論を呼んだが、このような消費の視点から考えれば突飛なこととはいえないだろう。

ミニマリストは消費社会を嫌悪しているかのような言説が流布しているが、実のところ「消費する対象」を「自分にとって真に有益なモノ」に絞っているだけなのである。ここでは、ジョセフ・ヒースとアンドルー・ポターが『反逆の神話』(栗原百代訳、NTT出版)で述べている「財の価値と排他性」に関する議論が参考になるだろう。

つまり、趣味のよさとは局地財である。他の多くの人が持てない場合にだけ、ある人が持つことができる。それは会員制ヨットクラブに所属するとか、都心で徒歩通勤するとか、手つかずの自然のなかをハイキングするようなことだ。そこには固有の競争論理が働いている。したがって、自分のスタイルや趣味を表明する物品を買う消費者は誰でも必然的に、競争的消費に参加している。

反消費主義的な「局地材」の消費

要するに、「反消費主義的な『局地財』の消費」という位置付けが正確な捉え方といえる。そこでは「厳選」「精選」が可能な審美眼の獲得が、人生の質を決定的に左右する課題となったりする。

これまでの議論をまとめると、断捨離にしろミニマリズムにしろ、「自己啓発」と「局地財」の要素を兼ね備えた、今日的な(選択的排除の機能を提供する)「フィルタリングビジネス」といえるだろう。

最近話題のデジタル・ミニマリズムがこの側面を非常に明快に説明してくれる。わたしたちは、絶え間なくスマホなどのデジタルデバイスに注意を奪われ続けている。Twitterのトレンドを調べ、Instagramで洋服を眺め、今日の出来事をFacebookにアップし、人気YouTuberの最新動画を見る……めまいがするような情報の奔流をリアルタイムで取捨選択して処理することを強いられているだけでなく、気付けばほとんど無意識にアプリをチェックしたりタイムラインをスクロールすることに多くの時間を費やしてしまっている。

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