2009年に能町さんが、トークライブハウスでイベントをしていると、女性のお客さんが訪れた。そして1冊の本を能町さんに渡した。2011年に映画化もされる『モテキ』(講談社)の1巻の見本誌だった。
「漫画家の久保ミツロウさんでした。彼女は本を渡すと『こういうの書いてるもんなんですけど、たぶん気にいってもらえると思うので』と言っていました」
その後は、たまにメールで連絡するくらいの関係が続いた。
ある日、能町さんが出版関係の飲み会に出かけると、ある人気漫画家と、その漫画家のファンの女の子たちがいた。ファンの女の子たちが、その漫画家に気に入られようと露骨に媚びを売り、彼もまんざらでもない様子をしている姿を見て、気分が悪くなった。
「その日は、すごいモヤモヤした気持ちで帰宅しました。誰かに悪口を言いたいなあと思って、ふと久保さんを思い出しました。それで電話をして、さんざんっぱら愚痴を言いました。悪口で一気に仲良くなりました(笑)」
オーディションを勝ち抜き、パーソナリティーに
2012年、ニッポン放送では新たなラジオ番組「オールナイトニッポン0(ZERO)」が始まることになった。かつて放送していた、「オールナイトニッポン2部」の復活をコンセプトとした番組で、日替わりのパーソナリティーをオーディションで募集すると発表された。その発表を見て、久保ミツロウさんがツイッターで、オールナイトニッポンに興味があるとつぶやいているのを見た。
「だったら一緒に受けてみようってことになりました。オーディションでは3分間のYouTube動画を募集していたんですが、当時久保さんと定期的に開催していたイベント『男子禁制!! 俺たちデトックス女子会』の一部を切り取って応募しました」
見事にオーディションを勝ち抜き、「久保ミツロウ・能町みね子のオールナイトニッポン0(ZERO)」が2012年4月から始まることになった。
「それまではメディアには顔出ししてなかったんです。イベントでも写真撮影は禁止にしてました。オールナイトニッポンの記者会見でも顔を出すのが嫌で、タモリさんみたいに“サングラスの人”になろうと思ったんです。だから記者会見ではサングラスかけてたんですけど、やっぱり違和感強くて無理だなってなりました。ラジオで顔出ししちゃったからもういいやって、テレビにも出るようになりました。
当時は毎週、ニッポン放送まで久保さんのマネジャーさんが運転する車で行ってました。私はともかく、週刊連載しながらオールナイトニッポンをやる久保さんはすごかったですね」
番組は人気になり、オールナイトニッポンの一部に昇格した。
2014年で番組はいったん終わったが、2015年4月から半年間「久保ミツロウ・能町みね子のオールナイトニッポンゴールド」が放送された。
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