大学では親に頼んで、やや強引に1人暮らしをする約束を取り付けた。
「1人暮らしをして、好きな格好をしたかったんです。親元にいてファッションについていちいちなんか言われるのが嫌だったんです。大学では下北沢の古着屋さんで買ったユニセックスな服を着て歩いてました」
東京大学駒場キャンパスに通うために、親と物件を探した。ただし、親も東京に詳しいわけではないのでてこずった。
結局、つつじヶ丘駅まで徒歩18分という、大学に通うにはやや不便な場所に住むことになった。
入学したが、将来については漠然とする日々
「大学時代は楽しかったですけど、特別何をしたというわけでもなかったですね。将来何がやりたいかも、漠然としていました。
小さい頃は漫画家になりたいと思ってましたけど、大きくなるにつれてなくなりました。その後はこれになりたい、というのはなかったですね。
ただずっと『サラリーマンになりたくない』と強く思ってました。スーツを着たくないんですね。とにかく大学に通って、そのまま大学に居残り続ければ研究者になれるかな? と考えました」
大学2年で通った美容室がとてもよくて、憧れたこともあった。親に
「東大を中退して、美容学校に入り直そうかな?」
と相談した。
「両親はあまりうるさくないほうでしたけど、『それはさすがに……』って言われました。そのあと、デザインの専門学校に通いたくなって親に相談したんですけど、やっぱり渋い顔をされました。まあそれはそうですよね(笑)。
計画どおり、大学に残り研究員になろうかと思ったんですが、研究者になるには山ほど文献を読まなければならないんです。それが苦痛で苦痛で……。研究者は向いてないからやめることにしました」
仕方なく、形だけの就職活動をすることにした。スーツを着るのが本当に嫌で、カバンに入れてスーツを持ち歩き、面接の寸前に着替えていたという。
サラリーマンにはなりたくないが、ここだったら多少は興味を持てる、と思える会社、NHK、新潮社、弘済出版社(現、株式会社交通新聞社)だけ受けることにした。能町さんが大学4年の時は大変な就職氷河期だったから、全部落ちるだろうと思っていた。
「そうしたら弘済出版社に受かりました。受かっちゃったから、行くしかないか~という感じでした」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら