成績優秀のまま、公立の中学に入学した。
能町さんの2つ上の世代には、まだ不良がたくさんいたため、校則の締め付けがきつかった。中学1年生の時は、時代錯誤にも男子は強制的に丸坊主だった。
「コーラで髪の毛を脱色したような不良の先輩はめちゃくちゃ怖かったし、やたらにスパルタな先生はいるし、とても学校が嫌いでした。夏休み明けの作文で『中学校がいかにつまらないか』を書いて提出しました」
作文には、
「中学校なんて最初から期待してなかったけど、思ったとおりなんにも面白くない」
などかなり強烈な内容を書いた。
成績が学年1位で、学級委員をやっている生徒が、こんな作文を書いたのだからおそらく問題になったのではないだろうか。能町さんは語る。
「よくそんな作文書いたな、と思います。今より当時のほうがパンクだったかも」
なんと東大に現役合格
高校は、県立の進学校へ入学した。
「学年のうち数人は東京の高校へ進学しましたが、東京へ行きたいという強い希望はなかったです。3兄弟で、実家にあまりお金もなかったですし。県立校でいいかと、特に何も考えずに進学しました」
進学した学校は、筑波研究学園都市で働く研究者の子息が多く進学する高校であったが、成績はとてもよかった。
そして、能町さんは東京大学の文科3類に現役で合格した。なんと東京大学以外の大学は受験しなかったという。
「今さら受験武勇伝を語るのも恥ずかしいんですけど(笑)。実は、受験勉強が間に合ってなかったんです。それで1年は浪人しようと決めてました。滑ったら翌年は、京大を受けようかな? と思ってました。
浪人するなら、私立の滑り止めもいらないや、と思ったので東大しか受けませんでした。まさか受かるとは思わなくて。受かったからさすがに行くことにしました」
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