国語で道徳を教えるな「国語よ、ロックであれ」 ブレイディみかこ×新井紀子「国語」を語る

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ブレイディ:ファンタジーに支配されてるんですよ。ご著書を読んでいちばん笑ったのは、『走れメロス』で泣かせる前に、ちゃんと何が書いてあるか読めるようにしろ、っていうところでした。

感動とか泣くとか、情緒的なことが大事と思われている。「3歳までは母親が」というのも、その線上にあると思いますよ。

道徳を教える国語でいいのか

新井:結局、国語で道徳をやっているんです。読めるって、理科の教科書でも社会でも、ほかの全部の文書が読めることです。文学=国語教育というのは違うでしょう。国語を通じて契約書も読めるようにしてもらわないと困るんです。

ブレイディ:海外で生活していると、契約書が読めないと生きていけませんからね。家賃でも雇用契約でも、契約書が読めないといいようにされる。契約書を読むのは地べたの国語とも言えます。で、契約書に限らず、読めないとなぜ困るかと言えば、自学自習ができなくなるからですよね。

新井:自学自習ができないと、いったん、労働市場の底に落ちてしまうと、はい上がることはできません。労働市場は「みんな違って、みんないい」とは言ってくれませんからね。なのに、小学校で「みんな違って、みんないい」なんてファンタジーを教え込んだら、その後、どこでどうやって修正してくれるんでしょう。

ブレイディ:そのファンタジーは、おカネとか経済がまったく絡んでいないときの多様性ですね。人種とかセクシュアリティーとか文化的背景とか、そういうときは、「みんな違って、みんないい」ですけど、労働や経済が関わってくると、そうはいきませんよね。だから、それを育てる軸が必要なのに。

新井:ほんと、何がしたいんだ、あなたたちは、って思います。「子どもの無限の可能性を」と言ったって、文章が読めないのに、無限の可能性もへったくれもありません。

ブレイディ:最近、「20代、30代のために」というテーマで、自分が読んできた本を紹介するようなコラムを書いたのですが、そこに、〈不確実性や不安の時代には、人は正しい答えがすぐ見つかると思って探したがる。迷うことを恐れる。でも、結局、迷ったり自分でぶち当たったりしていかないと、答えはわからない〉というようなことを書きました。

今は情報があふれ、ネット検索すれば大抵のことは教えてくれる時代です。けれど、検索してもわからないことはありますよね。実際に、自分でやってみないとわからないことがあります。

だから、不確実で答えが簡単に見つからない時代だからこそ、ちょっと危ないよとか、やめといたほうがいいよ、って人から言われるようなこともやってみて、迷ったり壁にぶち当たったりしながら、自分で進んでいくしかない。早道はないと思うんです。で、そんなとき、力になるのは、リーディングスキルなんだろうなと思いました。

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