日韓関係の「関係改善の糸口」はどこにあるのか ムン政権が「GSOMIA終了」を決定した背景

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

第1に、日清戦争、日露戦争そして朝鮮戦争などの経験に裏打ちされた、「四強」が朝鮮半島の運命を大きく左右するとの韓国の国際秩序認識は、「米中G2」が朝鮮半島の将来に決定的な影響を及ぼすという考えにほぼ取って代わられた。米中関係の行方が自国にとって死活的に重要であるとの認識に基づく韓国の外交安保政策の中で、かつては「四強」の一角を占めていた日本の位置づけは曖昧なものとなった。その結果、韓国の対外戦略の中で対日関係は「漂流」を続けている。

もっとも、十分成功はしなかったが、李明博政権前半期には日本を新たな協力パートナーとして位置づけようとする外交的努力が見られた。2008年4月の「日韓共同プレス発表」において日韓首脳は、「両国関係を一層成熟したパートナーシップ関係に拡大し、『日韓新時代』を切り開いていくとの決意を確認した」のである。

国際社会でともに貢献する日韓関係を実現するために、両国が協力できる分野や方策を検討する「日韓新時代共同研究プロジェクト」が立ち上がり、2010年と2013年の2回、日韓両政府に報告書が提出された(報告書は外務省ウェブサイトから閲覧可能)。

しかし、慰安婦問題に関する2011年8月の韓国憲法裁判所の決定以降は、いずれの政権も対日政策で柔軟性を発揮することは著しく困難になってしまった。2008年にうたった日韓新時代を開くことはできなかったのである。

北東アジアのバランサーとしての自負強まる

第2に、新しい国際秩序観の中で韓国自身に対する自己規定、自己認識にも大きな変化が現れた。冷戦期までは大国間の権力政治に翻弄される小国との自己認識が韓国では強かった。しかし、高度経済成長と民主化、さらには1990年代末のアジア経済危機を乗り越えたという成功体験により、韓国はミドル・パワー外交を展開できる「中堅国」になったと自己を規定するようになった。

そのような自己規定に基づく外交は李明博政権の「グローバル・コリア」戦略に最も明快に表れたが、実は盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権期にその萌芽を見て取ることができる。それが2005年の「北東アジア・バランサー論」である。

地域パワー・バランスの変化により日中の対立が深まる中、力をつけた韓国はかつてのように日中対立に巻き込まれることはなく、むしろ地域秩序構築のために意味ある役割を果たすことができる、というのが盧武鉉大統領のメッセージであった。

台頭する中国、停滞する日本、国力を増す韓国、というパワー・バランス認識は、すでに盧武鉉政権の頃から韓国外交に反映されていたといえる。

しかし、朴槿恵(パク・クネ)政権になると、社会経済的な閉塞感と北朝鮮の相次ぐ軍事的挑発(北朝鮮の核実験6回のうち3回は朴槿恵政権と重なる)により、韓国外交からは自信と柔軟性が失われた。「米中G2」を踏まえた中国との関係構築は、2015年9月の北京での抗日戦勝記念式典への朴大統領参加でピークを迎えたが、同盟国であるアメリカからの強い牽制もあり、米韓同盟と中韓関係の両立が成功したとは言いがたい。

文在寅政権のスタート後、2018年に入り南北関係および米朝関係が大きく展開したことは、韓国外交に再び自信と活気をもたらした。文政権が当初唱えた「運転者論」が実現したかに見えた。しかし昨年秋以降、北朝鮮非核化プロセスが停滞を続ける中で、文政権にはプロセスが頓挫しかねないとの焦りが見られるようになった。

そんな中、昨年10月30日の大法院判決以降の日韓関係の急速な悪化は、文政権には大きな負担となっている。それでも、文政権は北朝鮮問題に多くの政治外交リソースを注ぎ続けており、依然として対日関係の優先順位が高いとはいえない。大法院判決への対応も消極的であった。

次ページ日本による貿易管理運用の見直し
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事