ラグビー日本「半数が海外勢」になった深い経緯 「トンガ勢」はこうして日本にやってきた
その点、ブレンデンの場合は東北の地にたった1人だ。また仙台育英高校ラグビー部がブレンデンの受け入れを決めた際には、前例がないことなので、「勝利至上主義じゃないのか」という周囲からの批判もあったという。チームにもブレンデン個人にもやっかみの眼が向けられていたとしてもおかしくない。
事実、ブレンデンは高校日本代表入りに十分な実力を備えながらも「高校日本代表に外国人はふさわしくないのではないか」という声があり、見送られてしまったという。毎年必ず2~3人は海外からの留学生がメンバー入りする現在とは隔世の感がある。
ブレンデンと仙台育英高校がパイオニアとなり、その後、札幌山の手、正智深谷、日本航空石川、目黒学院といった高校はラグビー留学生を多く受け入れ、多くの名プレーヤーが生まれた。ニュージーランドから札幌山の手高校に留学したリーチマイケルも、ブレンデンの歩みと似ているといえるかもしれない。
ブレンデンはひとつの道筋を作ったことに対して、社会全体の変化も踏まえてこう語っている。
日本代表をポジティブに選ぶ海外出身選手
同書の終盤では、目下ワールドカップで大活躍中の現役選手たちも登場する。まず、「トモさん」の愛称で知られる38歳のトンプソンルーク。海外出身選手としてテストマッチ最多キャップ(試合出場)を誇るが、彼の場合は大学卒業後に日本にやってきたケースだ。2004年に三洋電機に入り、現在は近鉄ライナーズでプレーしている。
トンプソンは同じニュージーランド出身で、三洋電機でプレーしたフィリップ・オライリーの一言がきっかけになったという。
トンプソンは同胞の言葉に「そういう選択肢もあるのか」と感じた。
もっとも当時は日本で3年間過ごし、今からニュージーランドのラグビーに戻るのは難しいという本音もあったようだ。ただ、いま日本代表でプレーする海外出身選手は、日本代表というチームに価値を見出していることは確かだ。
もう1人紹介したいのが、日本代表のスクラムを最前線で支える具智元。韓国代表の伝説的プレーヤーを父に持つ具は韓国代表のオファーもあったというが、憧れのあった日本代表を選んだと、同書の中で語っている。
助っ人感覚で、日本代表を選んでいる海外出身選手はいないだろう。自らの意志で、日本代表にバリューを感じ、彼らは桜のジャージを着ているのだ。
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