10代スマホ所有率「うつ・自殺」との不吉な関係 「常時つながっている」ことがもたらす危険
ホーレシュはオルターにこう話した。ここに挙げた数字はおそらく低いほうに偏っている。なぜなら、モーメントのようなアプリをダウンロードしようと考える時点で、スマートフォンの使いすぎを気にしている人だからだ。
「まったく気にしていないスマートフォン・ユーザー、気になってはいるが使用時間を追跡しようとまでは考えないユーザーは、何百万、何千万人もいる」とオルターは結論する。「1日に3時間でも多いのに、彼らはそれ以上の時間をスマートフォンに費やしている可能性が高い」。
このスマートフォン使用時間は、スクリーンを見て過ごした時間しかカウントしていない。モーメントが計測していない、音楽やオーディオブック、ポッドキャストなどを聴いている時間まで勘定に入れたら、多くの人が日常生活から1人きりの時間を追放することにどれほど長けているか、いっそう明らかになるだろう。
自分の思考と向き合う時間は限りなくゼロ
ここからの議論をわかりやすくするために、この傾向に名前をつけることにしよう。
「孤独の欠乏」……他者の思考のインプットに気をとられ、自分の思考のみと向き合う時間が限りなくゼロに近づいた状態。
つい最近、1990年代までは、孤独が欠けた生活のほうが難しかった。好むと好まざるとにかかわらず、日々の暮らしの中で、自分の思考とだけ向き合わざるをえない状況がいくらでもあった──列に並んで待つとき、混雑した地下鉄に乗っているとき、通りを歩くとき、庭の手入れをするとき。しかし今日、「孤独の欠乏」は世の中の隅々まで行き渡っている。
内省よりコミュニケーションを優先するこのような姿勢は、深刻な問題につながる。1つには、孤独を避ければ、孤独がもたらすプラスの効果を逃すことになる──困難な問題を明らかにする力、情緒を安定させる力、信念を貫く勇気、他者との関係を強める力だ。孤独が欠乏した状態が慢性的に続くと、生活の質は低下する。
また、孤独を排除すると、最近になってようやく理解が進み始めた、望ましくない影響をも招いてしまう。ある行為の効果を調べるよい方法の1つは、その行為を危険なほど極端に繰り返している集団を調べることだ。「孤独の欠乏」の場合は、1995年以降に生まれた若い世代に、その極端な状態がすでに表れている。10歳になるころにはスマートフォンやタブレット、インターネットが当たり前に存在していた最初の世代だ。
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