ドラマ「Heaven?」に見る仏料理サービスの極意 フレンチのおもてなしメートル・ドテルとは
2015年、日本では惜しまれつつ銀座のグラン・メゾン『マキシム・ド・パリ』が閉店した。1966年、ソニー創業者・盛田昭夫氏の日本にも本物の食文化と大人の社交場を作るコンセプトにより、銀座ソニービルにオープン。フランス・パリ本店のアール・ヌーヴォーの内装や調度品など、同じ設えを再現したグラン・メゾンであった。
そこで活躍していた『マキシム・ド・パリ』で初めての女性メートル・ドテル、福岡佑香里氏に話を聞くことができた。同氏は現在、世田谷区・上北沢『レストラン ぷーれ』のオーナーである。
ぷーれとは若鶏のことであり、ロースト・チキンのデクパージュがメイン料理のスペシャリテである。
また、事前に予約すれば、有名なデザート「クレープ・フランベ」(マキシム・ド・パリ伝統のオレンジソースでクレープを軽く煮て、オレンジの皮をスパイラルに切り、そこにはわすようにフランベしたリキュールの炎を流すデザート)をはじめ、いくつものレパートリーからデクパージュやフランバージュが楽しめる。
働くスタッフにとっても憧れの場
福岡氏によると、かつてマキシム・ド・パリでの料理はすべてワゴンサービスをしていたとのこと。また、サービススタッフはディレクトール(支配人)やソムリエをはじめ30人弱いたときもあり、サービスチームは最大で7チーム、その中にはフランス人のメートル・ドテルもいた時代があった。まさに日本を代表するグラン・メゾンだった。
そのようなグラン・メゾンは働くスタッフにとっても憧れの場であり、当時のコミ・ド・ランたちはライバルが多い中、どうしたらディナーのサービスチームに入れてもらえるかを競っていたそうだ。まさに銀座のグラン・メゾンであるマキシム・ド・パリの夜のメイン・ダイニングは、サービススタッフにとってもトップの晴れ舞台であった。
そして、メートル・ドテルが通したメニューにないスペシャルなオーダーに対しては、シェフは「No」と言うことはなくできる限り最善を尽くし期待に応えていた。まさに、調理部門とサービス部門が一体となり、お客様に最大限、寄り添う真のおもてなしを実現していた。
SNSやインスタ映えなど、料理の見た目と情報をありがたがる傾向が優先する1億総グルメ時代の今、本当のおもてなしとは何かをグラン・メゾンで「濃厚な」時を楽しみ体感することで、再認識してもいいのではないだろうか。
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