「効率的な人」ほど忙しさから解放されない理由 「内在時間」が減っているのかもしれない
いくら時間があってもイライラする現代人
釈徹宗(以下、釈):最近は、「忙しい」という感覚が当たり前になっているように感じますね。そうなると、お盆のような、「よく意味はわからないけど昔からある習慣」みたいなものは、ないがしろにされているように思います。
笑い飯・哲夫(以下、哲夫):うちの実家のほうは、かなり伝統的な風習が残っているんですけどね。一周忌とか三回忌とかあるたびに近所も親戚も集まって法要して、お茶飲んでいろいろ話して。
釈:それはいいですね。うちのお寺があるあたりも田舎なんで、今でも五十回忌とかを勤めはります。「過去帳」っていう記録帳みたいなものがあって、それを見ながら、「この人誰か知らんけど今年五十回忌に当たってるわ」、とか言って五十回忌を勤めるんです。見たこともない人のために、べつに会いたいこともない親戚に連絡して、お寺さんと日にちと時間を打ち合わせして。お経も何言うてるかわからんし、お話も何言うてるかわからんけど、辛抱してじっと座ってる人もおられるわけです。
50年も前に死んだ見たこともない人のために、わざわざみんなで集ってその場に身を置く。これはね、やっぱり自分の持ってる内在的な時間がちょっとずつちょっとずつ延びる装置だと思うんです。われわれ、普段はぎゅっと萎縮した時間で暮らしてるんで、すごくしんどいし、イライラしますよね。