「効率的な人」ほど忙しさから解放されない理由 「内在時間」が減っているのかもしれない

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哲夫:「分断」とか「不寛容な社会」とか、そういう言葉ばっかり聞くようになりましたよね。

:そうなんです。長い時間の流れのなかで生きてると、ちょっとしたデコボコも何とか引き受けられるんですけど、こんなふうにきちきちした時間に生きてると、もうニキビみたいなささいなことでも辛抱できなかったり、イライラするんですよね。

考えてみたらですね、現代はかつて何日もかかった場所まで2時間ぐらいで行けるでしょう? 昔だと、お風呂たくのにも2時間ぐらいかかったんですよ。でも、今はスイッチ押したらできるわけで、現代人は昔よりもずっと時間が余って然るべきじゃないですか。今まで3日ぐらいかかった計算を一瞬でできたりするわけですから、時間いっぱい余るはずなのに明らかに昔より忙しいじゃないですか。

宗教儀礼は時間を延ばすための装置

哲夫:いや、本当に忙しい感じしますね。

:つまり、外部の時間をいくら余らせても、内在の時間が縮んでいたら、感覚的には忙しいし、イライラするんですよね。だからその内在の時間をどう延ばすかが、現代人の課題なんじゃないかと思うんです。そうしないと、ものすごく不寛容な許せない社会にどんどんなっていってしまう。

そして、この時間を延ばすための人類史上最大の装置は宗教儀礼なんだと思うんですよ。50年も前に死んだ知らん人のために、じっとみんな2時間ぐらい辛抱してるわけでしょう。ああいう場に身を置くことこそがね、ちょっとずつちょっとずつ内在時間を延ばしてくれていると思うんです。

哲夫:確かに思いをはせますしね。この人、50年前まではおったんか。そんな前やったら何があって、こうだったろう、とか言うて考えますし。今の仕事とかいったん忘れますよね。

:そうですよね。50年前の人のために時間をつかって法要を営むという行為だけでも、だいぶすごいことじゃないですか。

哲夫:そうですね。それはもう50年前にこの人亡くならはった時は、悲しいな、いう人もおったんやろうけども、今その人らも50年経って、あんまり悲しんではらへんしな、みたいなことも考えるでしょうし。なんか浄化されるような考え方になっていきます。

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