日本と真逆、英名門校の知られざる教育の中身 エリート輩出校の誰の目にも見える「賞と罰」

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まず、優秀な生徒や上級生がネクタイや服の色などで特別扱いされることについて。3人全員が「特別な服装を許されている生徒は、やる気のある後輩たちにとって、『自分もそうなりたい』というお手本になる。だからいいことだと思う」と答えた。

「最上級生になったとき、友だちが特別な服を着ていて自分がそれを着られなかったら、いじけた気持ちにならないか」という質問には、これも3人ともから「監督生などになって特別な服装を許されることは彼らの努力の結果だから、素直に受け止めたい」という答えが返ってきた。

「各分野の奨学生が生徒手帳の名簿に記載されたり、表彰を受けた生徒が学校の印刷物で華やかに公表されたりすることについてどう思うか」と問うと、3人は「なぜそんな質問をわざわざするのか」という表情に。

当り前のこととして捉えている

彼らにとって、成果をあげた生徒や学校の名声を広めた生徒が表彰されるのはそれくらい当たり前になっているのだろう。「(パブリック・スクールを受験する児童が通う)小学校でも表彰を受けた生徒は特別なネクタイを締めたりバッジをつけていたりしたからこの制度には慣れている。とくに何も感じない」。3人のうちの1人、学君は淡々とした口調でこう語った。

賞はそれを受けた生徒にとっては栄誉や励みを与える糧となる。同時に慢心を生む可能性もはらむ。一方、受けられなかった生徒にとっては次回への挑戦意欲をかきたてることもあるものの、自責の念を生んだり後悔を与えたりする可能性もある。くやしさ、悲しさ、さらにはひがみや非難、責任転嫁の元にもなりうる。賞の種類や対象者数が多ければ自分がそれをもらえるチャンスは増えるが、何ももらえなかったときの衝撃も大きいだろう。

ハーロウ校では賞の数も対象者も多いし、その記録がいろいろな媒体に残る。自分がもしこの学校の生徒だったとして、いかなる賞にも手が届かなかった場合、その状態を素直に受け止められるかどうか私には自信がない。賞はそれに縁がなかった者にとって残酷である。

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しかし同校の生徒に賞が持つデメリットの影響はほとんど現れていないように見受けられた。学校が賞を授ける機会が多いこと、多方面の賞を用意していることがその主たる原因だろう。受賞しても慢心しない、受賞しなくてもくじけない、生徒にはそんな強い精神が宿っているようだ。受賞しない生徒は、それが自分の行動の結果であることに気づいている。

自分の実力や業績がはっきり評価される中で育っている生徒たちには、打たれ強い精神力が育まれている。どの生徒もつねに最高の結果を出せるわけではないし、何らかの分野で弱みがある。その事実をはっきり認識できることはその生徒にとって自分を客観的に見つめられるという強みになると思う。明確な表彰制度や習熟度別クラス制度のもとで私にとって印象深かったことは、優秀な生徒ほど謙虚であるということだった。

松原 直美 ハーロウ校元教員

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まつばら なおみ / Naomi Matsubara

1968年生まれ。上智大学卒、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程退学。タイの公立高校、UAEの国立ザーイド大学での勤務を経て、2014年から18年まで英国のパブリック・スクール「ハーロウ校」で選択科目である日本語の非常勤講師を務める。

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