「ディープインパクト」が日本競馬に残した衝撃 17歳で急逝、時代を駆け抜けた最強馬の足跡

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GⅠ7勝はシンボリルドルフ、テイエムオペラオーに次ぐ3頭目の偉業。最終レース後の引退式を5万人の大観衆が残って見守った。2006年もJRA賞の年度代表馬に選出。2008年には顕彰馬に選ばれた。通算14戦12勝でGⅠ7勝を含む重賞10勝。敗れたのは2005年の有馬記念と凱旋門賞だけだった。サンデーサイレンスが生み出した日本競馬史上最強馬。凱旋門賞がNHK総合で生中継されたのも異例中の異例だった。

科学の目も向けられ、JRA競走馬総合研究所が菊花賞で計測した数字は1完歩の歩幅が7.54mで他馬の平均7・08mを大きく上回った。ピッチは1秒間に2.36完歩で他馬の平均2.28を上回る。ストライドもピッチも優れていたからこそ爆発的な末脚を繰り出せた。4本脚のうち複数の脚が同時に接地している時間が短かった。これが「飛ぶ」という感覚につながったのだ。

心肺機能も並外れていた。デビュー戦は452キロ。実はこれが最も重い体重だった。ジャパンCは436キロで最も軽く、ラストランの有馬記念は438キロ。普通は馬体が少しずつ成長して増えるが、ディープインパクトは最後まで競走馬としては小柄なままだった。

武豊騎手から感じたディープインパクトへの思い

武豊騎手にとってディープインパクトはやはり特別な存在だった。2016年にデビュー30周年を迎え、全国でその足跡を振り返る「武豊展」が開催された。2017年3月には福島市でも開催された。筆者はその時のトークショーのお相手を務めさせていただいた。武豊騎手は過去の騎乗馬の順位付けをしない。それぞれに思い出があるからだ。だから、個別の馬についての評価は語るが、過去の騎乗馬の中でどの馬が最強だったかというような質問をきらう。

それでもディープインパクトについて語ってくれた時にはほかの馬以上に熱いものを感じた。今回のディープインパクトの死を受けてのあの栗東での記者会見を見ていて、あらためてその思いを強くした。

ディープインパクトは社会現象を巻き起こした。これだけの存在は1970年代のハイセイコー、1980年代後半から90年代前半のオグリキャップぐらいだろう。ハイセイコーやオグリキャップに共通していたのは地方競馬からやってきた野武士が中央のエリートを蹴散らす痛快感だった。

実際のハイセイコーは良血馬であり作られた偶像である面もあったが、少年マンガの表紙にもなるようなアイドルで、幼かった筆者はハイセイコーに熱狂した。オグリキャップはぬいぐるみを持った女性ファンを競馬場に呼んだ。2頭とも敗れてもひたむきに走る姿がファンの心を動かした。高度成長、総中流社会だからこそ頑張る姿にファンが自らを投影できる心のゆとりもあったのかもしれない。

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