こんなに?地図と「ズレてしまった」鉄道路線 7月「長崎トンネル」は一歩間違えれば大惨事

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大阪駅は国有鉄道時代の1936(昭和11)年に高架化され、地上に建てられた先代の駅舎も1941(昭和16)年にはおおむね完成した。建設工事中から関係者を悩ませていたのは大阪市内で顕著に発生していた地盤沈下だ。その量は、1934(昭和9)年から1957(昭和32)年までの23年間に多いところで1.8mにも達した。成人の男性が立ったまま地面に埋まってしまうほどの高さだ。

悪いことに地盤沈下は均等には起きなかった。同じように見える高架橋も、場所によって基礎となる杭の構造が異なっていたからだ。

大阪駅周辺の高架橋は、プラットホーム部分や当時東海道線の下をくぐっていた阪急電鉄を越える阪急第一跨線橋、阪急第二跨線橋付近(現在の阪急電鉄梅田駅のすぐ南)では長さ5~6.5mのコンクリート製の摩擦杭、国道176号を越える梅田大道架道橋付近などでは長さ30m前後の松杭がそれぞれ支えている。摩擦杭の区間では地盤沈下が大きかったが、松杭の区間では先に挙げた統計で最大で50cm前後と少なかったのだ。

地盤沈下で「短い階段」を設置

おかげで高架橋上の線路では各所に急勾配が出現し、とくに東京方面では蒸気機関車が出発する位置に25パーミルの上り勾配が現れて、列車の運転に難儀するほどであったという。

また、勾配を補正しようと、軌道の下に敷いたバラストの厚さを変えて対処しようとしたところ、その量は厚さ1.3mにも及んだ。超高速での走行に対応するために新幹線では本線のバラスト道床は土路盤区間で30cm以上の厚さとすることになっている。大阪駅でいかに大量のバラストを敷き詰めたかがわかるであろう。

地平に設けられた駅コンコースは直接基礎、つまりベタ基礎の部分が多く、こちらは高架橋よりもさらに沈下量が多かった。大阪駅や東京駅など、高架橋の下に駅コンコースが設置された駅では、20段以上ある階段のほかに10段程度の短い階段を上り下りしなければプラットホームに到達できずいら立たされる。

これは、完成したときからこうした状態であったのではない。地盤沈下によって既存の階段が届かなくなった結果、苦肉の策として短い階段が追加されたのである。

ともあれ、地盤沈下を放置しておくのは危険だ。とくに阪急第一跨線橋、阪急第二跨線橋では阪急電鉄の電車が高架橋に接触するのではないかというくらい高架橋が沈んでしまった。そこで、戦後すぐに国鉄は応急措置としてまずは両跨線橋を、ジャッキを用いて70cm上昇させている。

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