こんなに?地図と「ズレてしまった」鉄道路線 7月「長崎トンネル」は一歩間違えれば大惨事

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厚賀―節婦間では1935(昭和10)年ごろから海岸線の浸食が急速に進んだ。浸食が最も著しい場所では、1946(昭和21)年から1959(昭和34)年までの13年間で何と97mも後退したという。要するに、いまは海岸沿いに敷かれているように見える日高線の線路も、建設時にはもう少し内陸を通っていたのだ。

海岸線に迫る激しい浸食から逃れるため、国鉄時代の1961(昭和36)年には日高線の清畠(きよはた)―厚賀間4.5kmのうち約3kmのルートが変更され、海岸沿いから山側へと移設された。この区間では並行する国道235号を線路が乗り越えているから、どのように移設されたのかがよくわかる。

ルートの変更が厚賀―節婦間をはじめ、海岸線に沿う区間すべてで実施されていれば、日高線は営業の廃止が取り沙汰される可能性が下がったかもしれない。しかしながら、清畠―厚賀間のルート変更に対し、当時の十河(そごう)信二国鉄総裁は激怒したという。

線路が海岸線に沿う区間では、国鉄が積極的に海岸を保全する役割を担わなければならないのに、国道にその役割を押し付けようとする消極的な姿勢はけしからんという内容だ。国鉄は「水際線に近接する国鉄線路の維持管理について」という通達を1961年7月28日付で出して、道路の管理者と共同で海岸の保全に努めることとなった。

海岸保全はJR北海道の役割か?

公共企業体ながら実質的には国有の鉄道であった国鉄時代であれば、いま挙げた心がけでもよかったであろう。しかし、民営化されたときには海岸の保全をはたしてJRにすべて押し付けてよいのかといった議論はほとんどなされず、結果としてJR北海道を苦しめるだけとなった。

JR北海道は民営化以降、日高線はもちろん、根室線では音別(おんべつ)―古瀬間9.7kmのうちの約3kmの区間や門静(もんしず)―厚岸(あっけし)間4.9km中のほぼすべてで海岸線の保全に苦心している。線路を保有しているのであるから、海岸を浸食から守るのは当然という意見ももちろんあろう。ならば、いま挙げた区間では「国土維持管理料」という名目で運賃に加算してもよいと筆者は考える。

本稿の執筆にあたっては村上温、村田修、吉野伸一、島村誠、関雅樹、西田哲郎、西牧世博、古賀徹志編『災害から守る・災害に学ぶ』(社団法人日本鉄道施設協会、2006年12月)から多大な影響を受け、すべての事例は同書に掲載されていたものである。

言うまでもなく、追加の調査、取材を実施したものの、やはり鉄道関係者向けの教科書として発行された同書の内容の正確さ、緻密な分析には頭が下がる。この場を借りて感謝申し上げたい。

参考文献
村上温、村田修、吉野伸一、島村誠、関雅樹、西田哲郎、西牧世博、古賀徹志編『災害から守る・災害に学ぶ:鉄道土木メンテナンス部門の奮闘』(社団法人日本鉄道施設協会、2006年12月)
運輸省鉄道局監修、鉄道総合技術研究所編『鉄道構造物等設計標準・同解説 耐震設計』(丸善、1999年10月)
国土交通省鉄道局監修、鉄道総合技術研究所編『鉄道構造物等設計標準・同解説 土構造物』(丸善、2007年1月)
『日本鉄道請負業史 大正・昭和(前期)篇』(日本鉄道建設業協会、1978年3月)
『日本鉄道請負業史 昭和(後期)篇』(日本鉄道建設業協会、1990年3月)
西日本旅客鉄道株式会社監修、大阪ターミナルビル株式会社駅史編集委員会編著『大阪駅の歴史』(大阪ターミナルビル、2003年4月)
田中宏昌・磯浦克敏共編『東海道新幹線の保線』(日本鉄道施設協会、1998年12月)
日本鉄道運転協会編、『重大運転事故記録・資料(復刻版) 追補(第二版)』、日本鉄道運転協会、2013年12月
梅原 淳 鉄道ジャーナリスト

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うめはら じゅん / Jun Umehara

1965年生まれ。三井銀行(現・三井住友銀行)、月刊『鉄道ファン』編集部などを経て、2000年に独立。著書多数。

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