「東大生の記憶術」は意外と簡単にマネできる 「多くのことをすぐ覚える」たった1つの方法
日常生活を送る中で、「ごめん、さっきなんの話してたんだっけ?」と話していたことを忘れる学生も多いですし、「さっき僕たち、教授から何を頼まれてたんだっけ? 忘れちゃった……」と相談を受けることも少なくありません。
それでも、東大生は受験のタイミングで本当に多くの知識を身に付けて、いろんな問題に答えられるようになっています。学内の試験でも、膨大な量を一気に記憶して単位を取得しています。
いったい、どうしてそんなことが可能なのでしょうか?
「記憶力」ではなく「関連付ける能力」
実は東大生は、「記憶力」ではなく「関連付ける能力」が優れているからこそ、多くのことを記憶できるのです。
例えば、ペリーが黒船に乗って日本に来航したのは、「1853年」です。
多くの場合、「1853年」という年号を暗記しようと努力するわけですが、東大生はただ丸暗記しようとはしません。
どうして1853年だったのか? 1853年の前後には、どんな出来事があったのか? そういうことを考えて、少しでも「1853年」が覚えやすくなるように努力していくのです。
そう考えてみると、1853年というのは世界で大きな出来事が起こった年でもあります。クリミア戦争という、フランスやイギリスなどとロシアの間での大きな戦争が勃発しました。
なぜペリー来航は「1853年」だったのか? もしかしたらアメリカは、イギリスやロシアが日本に手出しできないタイミングを狙って日本に来たのかもしれない……そう考えることができるはずです。
1853年の13年前、1840年に起きたアヘン戦争によって、イギリスは中国を開国させています。日本も中国と同じようにいろいろな国に狙われていて、その中でイギリスをはじめとする多くの国が戦争中だったからアメリカが来た……そんなふうに考えることもできると思います。
また、1853年の2年前、1851年にはイギリスが世界初となる万国博覧会を開催しています。万国博覧会というのは、世界に工業力をアピールするもの、という側面があります。
つまり、アピールできるだけの工業力がついてきたのがこの時代だと考えることができます。工業力があるということは、その工業力でさまざまな製品を作ることができ、自分の国の製品を他国に売ることができるということでもあります。この時代、イギリスをはじめとする多くの国が、貿易相手を探していたのです。
同年1853年のクリミア戦争や、2年前1851年の万国博覧会、13年前1840年のアヘン戦争。いろんな知識をつなぎ合わせて考えると、「1853年にペリーが来航した」というのも覚えやすくなりますよね? 逆に、「1853年」を覚えておけば、クリミア戦争や万博、アヘン戦争の年号も思い出しやすくなるはずです。
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