さて、今回、来日したケルトン教授の講演を通じて、MMTに関して筆者が理解を深めることができたポイントは、(1) 基礎となる貨幣経済モデルに特徴がある、(2)中心的な政策として「職保証プログラム」が位置づけられる、の2点である。筆者は、これらに強い違和感を感じた。
まずは、基礎となる経済モデルにおいて、政府の歳出拡大と税金徴収が、貨幣や信用の源泉となっていることが重視されている。このため、政府による財政政策が、マネー、経済成長、インフレ率などを決定的に左右するモデルになっているように思われる。そして、総需要安定化政策のツールとして「独立した金融政策」はMMTの世界では存在せず、政府の財政政策のみで、理想の経済成長とインフレ率が実現する世界が想定されるようにみえる。
MMTは世界を「単純化」しすぎていないか
筆者は、日本のような低成長に苦しむ国は、拡張的な財政政策の恩恵を受ける可能性が高いと考えている。ただ、当局や政治家が行う財政政策が、理想的にかつ機動的に発動できるとまで楽観的には考えていない。
果たして、すべての経済変動に対して、税率や歳出規模を適切に上下させることが現実的に可能なのだろうか。例えば、政治家の暴走で財政政策の拡大が行き過ぎたことで、インフレ率が大きく上昇するシナリオは十分ありうる。そして、現実には、総需要安定化政策の有効なツールとして金融政策がある。各国で金融政策は有効に機能しているだろうが、その存在や有効性を認めない「単純化した世界」がMMTでは想定されているのではないだろうか。
2つ目の難点は、財政政策に過度に依存する経済モデルにおける政策手段として、完全雇用を実現のための「政府による職保証プログラム」が重視されている点だ。政府部門が、具体的にどう職を保証するかははっきりしないが、政府による社会主義的な雇用政策が行き過ぎれば、民間の経済成長を通じて雇用拡大を実現する状況から、かけ離れるリスクがある。
以上を踏まえると、MMTは均衡財政主義に囚われた日本にとっては解毒剤としての効果は期待できるかもしれない。だが経済理論としては、今後も異端として位置付けられ続けるのではないだろうか。
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