7年ごとに来る「夫婦危機」脳科学から見た必然 定年前後の最大難関は乗り越えられるか
ある優秀な生産管理の専門家が、妻に逆上された話をしてくれた。妻がやかんに水を入れながら、あれこれ別の用事をするのだけど、水を全開にしておくので、あふれてしまっていた。そこで「あれこれするのなら、その時間をもくろんで、水を細めに出しておけばいいのに」とアドバイスしたら、妻がキレたというのだ。
クリティカルパス(最も時間がかかる作業)を見極めて、生産ラインの流量を決めるのは生産管理の基本で、なかなかいいアドバイスであるのだが、妻のキレ方はひどかった。
この話、妻である人たちの多くは「それはひどい。黙って水を止めればいいだけでしょ」と憤慨する。一方、理系の職場に長くいる私自身は、「あーなるほど」と感心して、それからその方式を取っている。以降、わが家では水が盛大にあふれ出ることはない。
それでもそのセリフが、水をあふれさせてショックを受けている瞬間に、夫から出たものだったら、絶対に許さない。一生、水は全開にしてやる、と決心したかもしれない。
だって夫の役割は、その瞬間の妻のショックを和らげることだから。言うべきは「僕が気づいて、止めてあげればよかった」しかない。手練れの専業主婦も、たまの失敗のショックは大きい。なのに夫は、ここぞとばかりに正義を振りかざす(ように見える)。これでは、夫婦が仲良くいられるわけがない。
妻は夫の「ぼうっと」を許そう
さて、今度は妻の番である。
男性は暮らしのそこここで、ぼうっとしている。このぼうっとには意味がある。空間認識の領域を最大限に活性化して、精査しているのである。平たく言えば、ぼうっとしている間に、戦略力・俯瞰力・構造認識力などの能力をアップしている。これはひらめきを引き出す準備運動と言ってもいい。
したがって男性脳を、いつまでもボケさせずにうまく使うには、「ぼうっと時間」を許してあげなければならない。
例えば、休日の午前中、パジャマを着たまま、リビングでぼうっとしている夫。共働きの妻がせっせとたまった家事をこなしていく足元で、ごろごろしている姿に、どれだけ腹が立つかわからない。疲れているなら寝てりゃあいいのに、起きてきたにもかかわらず、私の修羅場を手伝わずにのうのうとしていられる意味が分からん。ボーと生きてんじゃねーよっ(チコちゃん風)……ってな、感じ?
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