高校2年で復帰してからは、たくさんの補講を受けた。
2年生の後半からはオタクな友達もできはじめ、学校が楽しくなってきた。ただし中学まで描いていた漫画は、高校時代はまったく描かなくなってしまっていた。
「大学へ進学することに決めました。僕は陰キャ(陰気なキャラクター)でオタクだったので、そういう人がたくさんいそうな東京工科大学を選びました」
AO受験で無事大学に進むことができた。
大学も横浜から通ったので、結構遠かったが、友達もたくさんできて楽しかった。
「大学の友人が同人誌を出しているのを見て、いいな~と思いました。僕もそういう活動を始めてみたいなと考えるようになりました」
そして20歳前後になって、友達の見よう見まねでペンタブレットを使いパソコンに絵を描き、ネットにアップしはじめた。
大学3年のとき、当時はやっていたアニメ『まどか☆マギカ』の2次創作漫画の同人誌を友達と合同で描き販売した。
「全然売れなかったですね。50部刷って、1~2部売れる……とか、そんな感じでした。全然売れないけど、楽しいからいいやって。でも絵も下手だし、こんなんじゃ食っていけるわけないな、と思ってました」
大学4年になったが、就活に対するやる気は全然なかった。
「適当に受けてどこか受かればいいな、と思ってましたけど全然就職先はありませんでした。就活時期に出した1冊の同人誌が売れました」
その同人誌は就活をテーマにしたものだった。『まどか☆マギカ』のキャラクター、キュゥべえが就活をする、という内容だった。
「就活ネタが世代とマッチしたようでした。50万~60万円入ってきました。それで『稼げるじゃないか!!』って思いました。ギャグ漫画って絵が下手でも、中身が面白ければ売れるんだなって。やりようがよければいけそうだって思いました」
イベントで上位に入賞
しかし、もちろんすぐに食べていけるはずもなく、とりあえず就職しようと思った。
そんなとき、CEDEC2011ペラ企画コンテストというゲーム協会のカンファレンスに参加した。
「A4用紙に、企画書を書いて出すイベントでした。発表の2時間前に慌てて書いて出したのですが、総合で2位、学生では1位を取ることができました」
やしろさんの企画は『途中下車推理~次に降りるのはお前だ!~』というものだった。バスに乗車している客の言動を見極め、下車する客を当てるゲームの企画書だ。
このカンファレンスの結果は雑誌『ファミ通』にも掲載され、ゲーム会社からオファーが来た。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら