47歳「斬新な日本酒」を造り込む男の痛快な仕事 岩手の老舗酒造5代目はここまで徹底する

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「日本酒を造る米は『山田錦』が人気です。東北の蔵でも『山田錦』を使った酒がたくさん販売されています。『山田錦』は西の米であり、北東北では寒くて育ちません。米所なのに、他県の米に頼って酒を造るのはどうだろう?という疑問がありました」

「かけはし」も1995年頃は、各所で酒に使われていたが、どんどん減っていったという。喜久盛酒造ではこだわって「かけはし」を使用している。

そんな、岩手ならではの米で造られた喜久盛酒造の酒だが、実は7割は県外で売れているという。そしてその半分以上が大阪で売れている。

「関東関西で売れている酒は違うのですが、うちの酒は大阪と相性がいいようです。食事をしながら飲む食中酒ですから、くいだおれの街に好まれるのかもしれません。難波周辺のお店に行くと、よく見かけますね。大変うれしいのですが、最近は宅配便の値段が上がり、苦労しています」

酒蔵を改築したくても厳しい昨今の日本酒事情

喜久盛酒造はかつて致命的なミスを犯したことがある。

「2011年3月の東日本大震災で、うちの蔵にも大きな被害がありました。その蔵を修復するまでの間、一時的に近隣の酒蔵を間借りしてお酒を製造しました」

その他社の蔵が保健所への届け出を更新していなかったことが後に発覚した。約2年半にわたって、喜久盛酒造は酒類製造許可のない状態で一般に製造・販売していたことになる。

「僕が間借りをしていた時に、もっときちんとチェックしておけばよかったのですが、脇が甘かったです。申請自体はすぐにできることなので、翌月には許可を取りました」

品質管理には気を払っていたというが、言い訳の許されない事案だ。

「発覚したのは2017(平成29)年で、それまでにその酒蔵で製造した日本酒は遡って自主回収しました」

回収したお酒はかなりの量になり、かなりのダメージになった。

「とにかく質の高い日本酒を作って、もう一度認めてもらうしかありません。ここ数年は失った信頼を取り戻すのにかなりの苦労をしました」

喜久盛酒造の製品は、藤村さんなどが製造計画を立てて原料米などを調達、杜氏と喜久盛酒造の社員が外部の生産委託先に出向き製造するというシステムをとっている。日本酒をプロデュースしていると言える。

「OEM(相手先ブランドによる生産)が叩かれることがありますが、その風潮はよくないと思います。全部、または一部OEMの手法を取る酒蔵を含めた製造業者は非常にたくさんあります。他社の力を借りたとしても、『美味い酒』を作ろうと努力していることには変わりはありません」

【2019年7月3日8時00分追記】初出時、『タクシードライバー』の商標登録にかかわる点や、喜久盛酒造が過去に酒類製造許可のない状態で一定期間に製造・販売し、その間の商品を自主回収した点を記述していなかったので、改めて関係者に取材の上、内容を一部見直しました。

「タクシードライバー」などヒットしているものの、そう簡単に増産はできないのもつらいところだ。

酒造りの様子(写真:藤村卓也さん提供)

喜久盛酒造の設備はかなり古い。例えば酒を絞る機械は昭和30年製だ。最新型の機械なら1日で絞るところを、圧力が弱いために最低でも3日はかかる。そのため製造期間が長期化している。本来酒造りには向いていない初夏まで酒造することになる。

そうなると、温度管理も大変だ。設備が整った蔵では蔵全体をエアコンなどで冷やすが、喜久盛酒造では空調設備を持っていないため、氷をつくってもろみに入れて冷やす。

「もちろん設備は新しいに越したことはありません。酒蔵を改築しようという計画はあります。実際、設計図までは出来上がっています。あとは資金調達次第なんですが、もちろん安い買い物ではありません。今以上にお酒を売っていかなければなりません」

現在日本酒を取り囲む状況は決してよくないという。飲酒運転が厳罰化されるようになったため、地方の人は外で酒を飲むことが減った。これは間違いなく正しいことなのだが、それでも酒造メーカーにとっては大きなダメージがあった。

若い人たちの酒離れは進み、また会社単位やサークル単位の飲み会もずいぶん減った。

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