47歳「斬新な日本酒」を造り込む男の痛快な仕事 岩手の老舗酒造5代目はここまで徹底する

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ただ藤村さんには東京に心残りがあった。

「一度でいいから、東京で格闘技の試合に出てみたいと思いました。それで和術慧舟會という格闘技の道場に入門しました」

道場に半年間通った後、当時人気のあった総合格闘技団体リングスのアマチュア大会でデビューした。

「デビュー戦で準優勝することができました。そして2週間後に別の大会に出場して優勝しました。短期間に2つの試合に出場して、いい結果が出せたので満足しました」

そして27歳の頃、実家に帰ることに決めた。

「父の病気はだいぶ悪化していて、会社にも満足に出てこられない感じでした。

田舎だと自動車の免許がないとどうしようもないので、僕はまず免許を取りました。そして自社に入社しました。ただ喜久盛酒造ではなく、並行して営んでいた花巻酒販に配属されました。花巻酒販は問屋業でした」

花巻酒販はキリンビールの特約店だったので、キリンビールからお酒を仕入れて地元の酒屋さんに卸す仕事をした。そのときには、酒造業にはノータッチだった。

父親が亡くなり、5代目社長に

そして30歳のときに、父親が亡くなった。

「父の死を機に、問屋業と酒造業の社長に就任しました。一族経営の会社だったので、既定路線でスムーズに5代目の社長になりました」

藤村さんが社長になった頃は、焼酎ブームの真っただ中で、日本酒業界はガタガタだった。県内の造り酒屋も、毎年1つずつ潰れているような現状だった。

藤村さんが幼い頃感じていた、景気のよさや活気はまったく感じられなかった。

社長に就任したのは2月だった。その年のお酒の製造は終盤であり「どう造るか?」より「どう売るか?」が大事な時期だった。

「亡くなった父の机を整理していたら、引き出しの中からテレサ・テンが歌うコマーシャルソングのデモテープが出てきました」

小学生ぶりにフルコーラスで聞いてみると、めちゃくちゃいい曲だなと思った。曲をリミックスしてクラブでかければ、若い人たちに喜久盛酒造の名前を認知してもらえるんじゃないか?と考えた。

「そういう展開ができたら面白いなと思い、レオパルドンというテクノユニットにリミックスをお願いしました。

リミックスが何曲もたまった段階でドイツのレーベルに音源を送って、レコードをプレスしてもらいました。それを日本に輸入して販売しました。

それが喜久盛酒造での最初の仕事になりました」

12インチシングルレコードを合計300枚作り、レコード屋に卸したり、知り合いに配ったりした。造り酒屋がレコードを発売するのは珍しいので、音楽雑誌にレビューされたり、新聞に載ったりした。

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