武蔵川親方はそんな稽古の様子を、部屋の隅に置かれた椅子に腰掛け、終始静かに見守っていた。現役時代より随分減量したというが、山をも彷彿とさせるその存在感は今なお、圧倒的だ。
ぶつかり稽古を終えた力士は必ず一度、親方の前までやってきて「ごっちゃんです」と言って頭を下げる。親方は、ん、と頷くだけのこともあれば、「もっと前に出ろ」と短く助言をすることもある。
親方の語気は一貫して穏やかで、声を荒らげることはない。が、だからといって親方の言葉を受け止める弟子たちの顔から、緊張の色が消えることもまたない。絶えず畏敬の念に満ちたまなざしで、真っすぐに親方を見つめている。それもそうだろう。強いことがすべての世界で、目の前にいるのは、かつて角界の頂点を極めた、偉大なる元横綱なのだ。
相撲部屋は、若い力士たちの鍛錬の場であると同時に、言うまでもなく、彼らの生活の場でもある。武蔵川親方とともに、親元を離れてやってくる10代から20代の力士たちの親代わりとなるのは、親方の妻、雅美さんだ。大変だったことを尋ねると、たくさんありすぎて、と目を細めて笑う。
17歳”マム”の来日予定日に、東日本大震災が…
「ハワイに住んでいたマムが日本にやってきたのは、まだ今の武蔵川部屋ができる前でした」
マムは武蔵川部屋に所属する力士、武蔵國の愛称だ。武蔵川親方の甥にあたり、2011年3月、当時親方が所属していた藤島部屋にて稽古を積むべく来日することになっていた。
「それが、ついにやってくるというちょうどその日に、東日本大震災が起きたんです」
思ってもみない事態だった。通信網は一斉に不通となり、マムの乗った飛行機がどこにいるのか、無事着いたのかどうかもわからない。そんな中でもおかみさんは必死に情報を集めた。するとその日の夜になってようやく、マムの乗った飛行機が、北海道の新千歳空港に着陸していることがわかった。
「当時マムはまだ17歳でした。初めてやってきた日本で、子どもがいきなり、誰一人知り合いのいない場所に降ろされて、どんなに心細いだろうと。とにかく心配でたまりませんでした」
マムがようやく東京にやってきたのは、震災翌日のことだった。
「何とか飛行機も飛んだので、羽田まで迎えに行きました。そしたらもう、びっくりしちゃって! 子どもだと聞いていたのに、いざやってきた男の子は、身長190センチもあったんです」
全国各地から武蔵川部屋に集まる力士たちを、親方とともに迎え入れ、日々細やかに面倒を見るおかみさん。親元を離れ、不安を抱えた若い彼らにとって、優しいおかみさんの存在は大きな心の支えだ。
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