コメディアン大統領はウクライナを救えるのか

ゼレンスキー氏のポピュリズムと政治課題

ゼレンスキー氏はポロシェンコ氏に大差を付けて勝利した(写真:PRESIDENT OF UKRAINE Official website)

ウクライナ大統領選挙の決選投票で、ゼレンスキーは73%の支持を得て、現職大統領のペトロ・ポロシェンコの24%に大差をつけて圧勝した。39人の立候補者が乱立した第1回の投票では1位のゼレンスキーが30%、2位のポロシェンコが16%を獲得。上位2人による決選投票はまさに地滑り的なゼレンスキーの勝利だった。2人だけの決選投票でこれだけの差がついたことはウクライナの大統領選挙でこれまでになかったことだ。

票差だけではない。これまでウクライナの大統領選挙では、東と西で投票行動に大きな差が出ていた。ロシア語を話す人が大多数を占める東部と、ウクライナ民族主義の源流ともいえる西部では、支持する候補者が明確に分かれてきた。しかし今回の選挙結果では、ゼレンスキー支持は東部が厚いものの、ポロシェンコに負けたのは西部の1州と在外投票のみ、ほかのすべての州でゼレンスキーがポロシェンコを圧倒した。

この傾向は第1回の投票からも明確に表れていた。この時もゼレンスキーは、19の州や首都キエフで第1位となった。他の有力候補者は現職大統領ポロシェンコを含めてすべて地域的な偏りが強く、地域を超えたゼレンスキーへの支持の広がりが際立っていた。「言葉や宗教でウクライナを分断させてはならない」「われわれはすべてウクライナ人(ウクライナ国民)である」というメッセージは、選挙運動期間中からゼレンスキーが一貫して発信してきたものだ。

ゼレンスキーは41歳。ソビエト時代に生まれ、ソビエト的背景を持ちながらも連邦崩壊後の独立ウクライナとともに自らの青年時代、人生を築いてきた。民族や宗教としての違いを乗り越えた新たなウクライナ国家のアイデンティティの確立を希求する国民の願いを、ゼレンスキーは汲み取ったと言える。国民を融合するウクライナのアイデンティティの確立こそ大統領ゼレンスキーの使命と言える。

ソビエト的知識人家庭の出身

ゼレンスキーはソビエト時代の1978年1月、ウクライナ中東部の都市クリボイ・ログ(現在のクリヴィー・リフ)で生まれた。ブレジネフ時代末期、いわゆる「停滞の時代」と言われた時期だ。民族に代わる「ソビエト人」という概念が表れたころでもある。クリボイ・ログは人口60万人余り。豊富な鉄鉱山があり、ソビエトの鉄鋼業の中心都市の1つだ。

父のアレクサンドルは数学とプログラムの専門家で大学の教授、母のリンマはユダヤ系で同じく技術者。典型的なソビエトの知識階層、ソビエト的中産階級の家庭である。

1991年12月、ソビエト連邦は崩壊した。ヴォロディミル少年は14歳、12月のソビエト連邦崩壊の直接の原因は、ソビエト第2の共和国であるウクライナが国民投票で独立を選択したことだった。その後の経済危機は、ロシアであろうとウクライナであろうとソビエト的中産階級(学者、教師、医者、技術者、中堅官僚、軍人など)の暮らしを直撃した。ゼレンスキー家も同様だろう。ヴォロディミル少年は16歳の時、イスラエルに留学するチャンスを得たが、父の反対で、故郷の町にとどまったという。

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