新宿に実在した「昭和のディスコ」の強烈な記憶 昼間から中高生があふれるほど押し寄せた

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そして世の中にはバブル景気がおとずれ、オシャレなバーなどで遊ぶのが流行った。いつしか新宿のディスコに行くのは恥ずかしいという雰囲気になっていた。

東亜会館は、ますます低年齢化が進んでいった。ケンカなどを防ぐためにバンプなど過激なダンスや円陣などが禁止された。

「禁止しても守らない人は『出禁にするぞ!!』って脅すんですが、もう昔みたいに効かないんですよね。『東亜会館の踊りも踊れないなら来る意味あるかよ!!』って乱闘になってしまいました」

1980年代後半には完全にブームは去り『BIBA』は『ZEBRA』と名前を変えた。そして、そのディスコもいつしか閉店した。

現在の歌舞伎町(筆者撮影)

現在の東亜会館には、パチンコ店、カラオケ店、居酒屋、ドラッグショップなどが入っている。ドアに当時の看板がかかっていたりとほんの少しだけ面影が残るにすぎない。

歌舞伎町自体、浄化作戦が実施され、ずいぶんと変わった。昔に比べ一般の人や外国人観光客などが安心して歩ける安全な街になった。

年に1度のイベントには今も人が集まる

「みんな大人になってみんな東亜会館のことは忘れていったんだな……と思っていました。

でも、2001年になって『あの日に帰ろう』をスローガンに東亜会館イベントが開催されると400人以上の客が集まりました。それから年に1度のペースでイベントが開催されているのですが、最大850人集客したそうです。みんな、東亜会館が忘れられなかったんですね。

当時中高生だった僕たちも今や、50歳前後になっています。東亜会館の踊りを踊るのはきついですが、でもそんなことは問題じゃないんです。あの日に戻れるイベントがある、ということが大事なんです。

僕は今でも東亜会館を愛してやみません。みんなの中で東亜会館の記憶が、いつまでも鮮明に残ってほしいと思っています」

『新宿ディスコナイト 東亜会館グラフィティ』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

当時の東亜会館を知らない僕にとっては、まるでフィクションのように感じた。30年経つと、モラルや遵法意識はこんなに変わるんだと驚いた。生き生きと話す中村さんを見て、うらやましい気もしたし、少し怖い気もした。

現在の東亜会館を見ても、当時の片鱗はほとんど残っていない。ただのビルの1棟にすぎない。でも、当時足繁く通っていた人の胸の中には当時の東亜会館がはっきりと残っているんだろう。

今、僕らが大事にしている場所も、いつかはなくなってしまうかもしれない。いざ、そうなっても困らないよう、大事な思い出はきちんと胸に刻んでおこうと思った。

村田 らむ ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター

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むらた らむ / Ramu Murata

1972年生まれ。キャリアは20年超。ホームレスやゴミ屋敷、新興宗教組織、富士の樹海などへの潜入取材を得意としている。著書に『ホームレス大博覧会』(鹿砦社)、『ホームレス大図鑑』(竹書房)など。

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