新宿に実在した「昭和のディスコ」の強烈な記憶 昼間から中高生があふれるほど押し寄せた
その元をたどれば、ある事件に行き当たるという。
「1982年に発生した『新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件』です」
被害者になったのは事件当時14歳の女性2人だった。2人は同じ中学に通う同級生だった。彼女たちは歌舞伎町のディスコで若い男にナンパされ、ついていった。
ドライブの途中に暴力を受け、1人は首を切られ失血死した。もう1人は幸い軽傷で命に別状はなかった。
この事件は結局解決せず、時効を迎えた。
風営法の改正で新宿のディスコは一時衰退したが…
「この事件が起きてから、歌舞伎町のディスコに行政指導が入りました。1984年8月には風営法が改正され、ディスコは深夜0時までの営業になりました」
それまではオールナイトで営業しているディスコも多かった。『BIBA』も深夜の最も盛り上がる時間に閉店するため、客の不満はたまっていた。
「風営法の改正により、新宿のディスコは衰退しました。ただ東亜会館だけは、まさかの手を打ちました。深夜がダメなら、早い時間に営業をすることにしたんです」
そして、東亜会館のディスコは、昼の12時から営業を始めることになった。
子供たちにとって夜にディスコに行くのは難しいことだったが、日曜日の昼間ならばさほど難しいことではない。
「『友達と新宿に映画を見に行く』とでも言えば、親も了承してくれますよね。うまくいけば、お小遣いももらえるかもしれません」
当時、東亜会館をおとずれる子供たちは、板橋区、世田谷区など東京の西側に住む人が多かったという。映画館といえば、新宿か日比谷だったので、場所的に新宿に行くのは普通だ。
「日曜日は階段に人がズラーッと並んでいました。フロントに着くまでに小一時間かかるのもざらでした。中に入っちゃえば、光が入らないから深夜と一緒なんですけど、トイレだけは外に面していたので利用する時『まぶしい!! そういえば昼間だった!!』って思い出しました」
ディスコ内で、違法行為は行われていた。中高生の飲酒、タバコは当たり前だった。ナンパもあった。
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