新宿に実在した「昭和のディスコ」の強烈な記憶 昼間から中高生があふれるほど押し寄せた
当時中高生にとって、歌舞伎町でディスコといえば、東亜会館だったという。
東亜会館はビルの名前であり、今も歌舞伎町に建っている。(正確には、第二東亜会館)
『BIBA』が東亜会館ブームを牽引
場所はコマ劇場(現在の新宿東宝ビル)の向かいにあり、8つのフロアのうち4つのフロアにディスコが入店していたという。
「3階は『BIBA』、4階は『グリース』、6階は『B&B』、7階は『GBラビッツ』というディスコが入っていました。
その中でも最も激しく踊る店が『BIBA』でした。
『BIBA』が東亜会館ブームを牽引していたと思います。私も常連でした」
当時入場料は男性が1500~2000円、女性が1000円だった。割引券を使えば500~1000円で入場できることもあった。
店内はフリードリンク、フリーフードだったのでそれ以上お金はかからなかった。
中高生にも手が届く金額だった。
ただ当初は、昼間には営業していなかった。『BIBA』は1970年代から営業していたが、17時にオープンして、深夜2時頃には終わっていた。
「1970年代の新宿のディスコは本当に不良が多かったそうです。暴走族の特攻服で踊る人が多かったそうです。
1980年代になって垢抜けましたけど、それでも中高生がディスコに行くのは普通じゃありませんでした。家庭が崩壊しているか、さもなくば家族が寝たあとに窓から抜け出して遊びに行くやんちゃな子ですね」
深夜のディスコに、不良の子供たちが集まるというのは、なんとなく想像がつく。
しかし、なぜそれが真っ昼間の営業になり、子供たちが大挙して押し寄せるムーブメントになったのだろうか?
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