新宿に実在した「昭和のディスコ」の強烈な記憶 昼間から中高生があふれるほど押し寄せた
当時のアルバイト店員は大学生が多かったという。彼らが、客に暴力を振るう場面も珍しくなかった。
「明確な理由がある暴力じゃないんですよ。なめられないようにするためにボコボコに殴るんです。殴られた側も、中高生でディスコに来ているわけだし、警察に訴えるわけにもいきません。もし文句を言ったら『だったら出禁にするぞ』って脅されるだけ。そうなったら行き場を失ってしまうので黙っているしかありませんでした」
暴走族の特攻服の格好はダサいという認識になっていたので、着てくる人はほとんどいなかった。
ただ暴走族の人自体は普通の服を着て遊びに来ていた。彼らと揉めることも少なくなかった。
ケンカや援助交際のようなものも
また、東亜会館のフロアごとに縄張り意識があった。改装中などでよその階のディスコに行かなければならなくなると、鉢合わせになってバチバチとケンカになることもあった。
家出少女のたまり場にもなっていた。ずっと家出をしていているため臭う子もいた。
「そういう子がお風呂に入りたくて、歌舞伎町でナンパされてホテルに行くなんてこともありました。今でいう援助交際のような感じですね」
フリードリンク、フリーフードというのにも何かカラクリがあったんじゃないか?と中村さんは推測する。
500円や1000円の入場料で1日遊べて、しかも食べ放題、飲み放題なんて成立するはずがない。反社会勢力のお店なので、仕入れ代金を踏み倒すとか、廃棄寸前の食品を手に入れていたのかもしれない。
「フリードリンクといっても男にはバーテンが面倒くさがってカクテルを作ってくれません。女の子に頼んでカルアミルクなんかを作ってもらってました。そしてそのまま話して仲良くなったりしていましたね。
当時のディスコのフリーフードは、ピラフにシチューをかけて食べたり、味のしないパスタにカレーをかけて食べたりしていました。たいしておいしくなかったんですが、でもその味が今となってはすごい懐かしいんです」
当時、ディスコに通っていた女性は、
「死ぬ前に何を食べるか?と聞かれたら、ディスコで出たフリーフードが食べたい」
と言っているという。それだけ、当時遊んでいた人たちにとっては印象深い味だったのだろう。
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