新宿に実在した「昭和のディスコ」の強烈な記憶 昼間から中高生があふれるほど押し寄せた
ただ、東亜会館でのメインのカルチャーはダンスだったという。
「会員証にも
『スポーツで勉強のストレスを発散しよう!!』
みたいなことが書いてありました。意外とさわやかで健康的でしたね」
実際に当時の会員証を見てみると、
『ビーバーでスポーツをエンジョイし、ストレスをクリーンすればスタディにもやる気が出る!』
と書いてあった。文面もいかにも1980年代の雰囲気である。
学校などで練習して、皆の前で披露
「そしてバンプ、ステップ、芋掘りといった東亜会館独自の踊りの文化が生まれました」
バンプとは、主に男同士でペアになって、2人が片足を合わせて半身で向き合い激しく踊り合うバトルのようなダンスだった。
学校などで練習して、皆の前で披露したという。踊れない人たちは、ダンサーの周りを囲み、しゃがんで応援した。うまいペアには万雷の拍手が湧き起こったという。
バンプは男子中心だったが、ステップは女子も踊った。十数人でグループを作り、皆でダンスしたという。
また『君の瞳に恋してる』がかかると、皆でジェンカを踊り大きな列になって行進した。
「僕は音楽が好きだったので、新しい音楽が生まれていくという感覚が面白かったですね。電子楽器を使ったハイ・エナジーというジャンルができて、その後ハウスなどの現在のクラブミュージックへと発展していきました」
当時は今に比べてDJはあまり人気がなかったという。人気なのはバーカウンターで、DJはお店のスタッフが指示されて働いているような感じだった。
当時のDJはアナウンス係も兼ねていたので、『ビルボード赤丸急上昇中のこの曲……』『警察がきています。車の移動をお願いします』などというの放送もしなければならなかったそうだ。
「もちろんいいことばかりではありませんでした。悪い側面もありました。そもそもが、反社会的勢力系の人が経営するお店でしたから、アルバイトをしているうちに、いつの間にかそちらの道に進んでしまう人も少なくありませんでした」
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