新宿に実在した「昭和のディスコ」の強烈な記憶 昼間から中高生があふれるほど押し寄せた
「もちろんいろいろ問題もありました。今のモラルでは許されないことは十分わかっています。でも東亜会館に来てるのは、いいヤツが多かったんですよ。
僕は大学の付属高校に行ってて、周りはずる賢い意地悪な子が多かったですから、それに比べると勉強はできないけど『人を騙さない』『友情を大事にする』そんな気持ちのいい子が多かったです。出会ったその日に友達になって家に遊びに行ったり、先輩の車でドライブしたり。とても楽しかったですね」
東亜会館の昼間のディスコは大きなブームになっていた。芸能人が顔を出すことも珍しくなかったという。
写真も少なく、キラキラした夢のような思い出
ただ、当時は今のように気軽に写真を撮ることはできなかった。大ブームになった『写ルンです』もまだ販売されていなかった。
「写真を撮るなら親のカメラを持ってきて撮るしかありません。ただみんなそもそも親に隠れて遊んでいる子供たちですから、わざわざ証拠を残すようなことはしません。
ですから当時の様子はお店がイベントの時に撮った写真が少し残っているくらいで、ほとんどありません」
『新宿ディスコナイト』が発売された後、刑務所から手紙が来たという。その囚人は当時、東亜会館に通っていたという。
ただ時間が経ち、
「あの時代に、ディスコで踊っていたのは本当だったのか? 夢じゃなかったのか?」
と疑問に思うようになっていったという。
「『本を読んで、本当にあったことなんだと確認できました。ありがとうございます』と手紙には綴ってありました。
僕にとっても当時の東亜会館は、なんだかキラキラした夢のような思い出になっています。昭和から平成に時代が変わる時にたまたまできた、エアポケットみたいな場所だったのかもしれませんね」
しかし、ブームにはいつしか終わりがくる。夢は覚める。
中村さんは高校を卒業して、新しくできたディスコ『マハラジャ』などに足を運ぶようになったため、自然と東亜会館にはあまり行かなくなった。そこに寂しさはなかったという。
「なんとなく高校を卒業したら、東亜会館は行くのをやめるという不文律がありました」
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