「総合取引所」は日本経済蘇生の起爆剤になるか 「外圧」が突き動かしてきた日本の大転換
外因主導の力学
東京都心の地価が1980年代のバブル期を抜き、バブル再考の論説がはやる。ところが、その多くが個別企業の内部事情や人間関係に拘泥し、全体像は見えてこない。
そもそも「失われた30年」を仕切った金融制度改革が描かれたシナリオの時代的文脈は何だったのか。
まず出発点の在米店撤退を強いられた1995年の大和銀行事件、1998年の長銀国有化、「ゾンビ企業」と揶揄されたダイエー解体、あるいは司令塔だった旧大蔵省の財務省と金融庁への分離、2008年のリーマン・ショックで破綻危機に陥ったモルガン・スタンレーへの三菱UFJによる大型出資等々、一連の重要な出来事すべてに共通しているのがアメリカという外因だった。
脱冷戦期のシステム改革を象徴する金融ビッグバン(1996年宣言)は、それまでEUやNAFTAに対抗して、東アジアにおける共同体形成を模索していた日本の「アジアシフト」的空気を一気にアングロサクソン型へ(簿価から時価へ、銀行中心から資本市場中心へ)とギア・チェンジする結果となった。
一大転機は、2002年9月の小泉首相とブッシュ大統領のニューヨーク首脳会談だった。日本側は訪朝に対する承認と、大量破壊兵器保有の疑われる、イラク戦への参戦を要請されるのではないかという不安が支配的だった。
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