「総合取引所」は日本経済蘇生の起爆剤になるか

「外圧」が突き動かしてきた日本の大転換

ところが、アメリカの日本への要求は不良債権の迅速処理と米国債買い増しだった。この思惑のミスマッチ(情報乖離)を機に、時代はあっという間に動いた。小泉首相の帰国後、不良債権処理に慎重だった柳澤伯夫金融担当大臣は更迭され、竹中平蔵氏が新大臣に着任。不良債権処理という猛威が吹き荒れ、ダイエー保有分をはじめ、多くの不良債権が破格の安値で主に外資に売却された。

その後、十数年が経ち、不良債権を売却した邦銀の存在は後退し、安値で「蜜の味」をむさぼった投資ファンドは大きく存在感を増した。かつての、持ちつ持たれつ(相互持合い)の共同体的資本主義は、収益性と株価重視のファンド資本主義へと変貌を遂げた。

そのタクトを振ったのは、外因だった。旧大蔵省は生き残りを懸けて2つに割れ、かつて国際政治学者ケント・カルダーが「戦略的資本主義」の要と位置付けた興銀も消えた。

市場観を支える風土

政治は権力で動くが、市場は合理性で動く。決算書に不正があれば、当該企業の株式は売り叩かれ、逆に黒字ならば、株価は高騰する。そこに権力の意向が働く隙間はさほどない。

だからこそ、1940年前後の日本は軍部の資金統制を狙い、間接金融方式を優先したのである。株式市場では、投資家を軍需企業買いに促すのは難しいが、銀行を操作するのは容易だったからである。徴税の捕捉漏れ防止に、所得発生時に自動的に徴収する源泉徴収制度(ナチス・ドイツが手本)が給与所得者に採用されたのも、この頃である。

大阪北浜界隈ではよく、江戸期の堂島米会所は世界初の先物取引所(帳合米取引)だという史実が語られる。江戸の米は封建制下の年貢だったが、大坂では、全国から余剰米が集まり、商品として売買され、諸藩の財政ファイナンスに一役買ったのである。その中心の豪商淀屋は今も淀屋橋として名を残す。先物だといわれるのは、現物の裏付けを欠いても、予想蔵荷に対して米手形が振り出され、資金を融通できたからである。

しかし、当時の幕府の触書を見ると、幕府はそうした大坂での先物取引による価格変動を苦々しく見ていた(高槻泰郎『大坂堂島米市場』講談社現代新書、2018年)。年貢米価格の投機による変動は、幕府にとって、好ましくなかったからである。今でこそ、大坂が世界初の先物取引発祥の地だという含みで自慢気に語られるものの、豪商淀屋を中心に自然発生的に始まった先物の商いが公認されるには七十数年の年月を要したのである。

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