「総合取引所」は日本経済蘇生の起爆剤になるか 「外圧」が突き動かしてきた日本の大転換
翻って現代、この江戸時代の先物観は完全に払拭されたのだろうか。日経225先物は、1988年から大阪取引所(東証と合併前の大阪証券取引所)で取引が始まった代表銘柄だが、当初「先物元凶論」というレッテルが貼られ、証拠金引上げ等規制強化の対象となった。結果的に、取引自体が規制強化に転じた大阪から、規制の緩いシンガポールに流出してしまった。
その経緯を米ジャーナリストのグレゴリー・ミルマンが記している。それによると、1992年春、シンガポールのSIMEX(1999年以降SGX)を訪ねた当時の東証副理事長は、SIMEX理事長に対して極めて高圧的に、大阪同様シンガポールの先物取引の規制を強化するように迫ったが、失敗に終わった、と(『ヴァンダルの王冠』共同通信社、1996年)。
日本は「先物での売り」が招く市場リスク研究が未熟
そもそも、日本では、ニューヨークやロンドンとの比較論(例えば、ニューヨーク・ロンドン・東京の三大国際金融都市論)は好まれるが、現物取引と先物取引のリンケージに重きを置く総合取引所化の国際的潮流について、どれほど自らの課題として捕捉しえているのだろうか。
しかも、その主役として活況を増すにもかかわらず、アジアで進む急速な「総合取引所」化の勢いが日本で話題に上ることも少ない。シンガポールSIMEXはシカゴCMEと相互決済(一方での取引を他方で決済できること)で連携しながら、先物取引所として知名度を上げ、総合取引所SGXに浮上した。
さらに2012年には香港取引所によるロンドン金属取引所(LME)買収が起こった。いずれも、アジアで、取引所の提携・合併が国境を越えてダイナミックに進んでいることがわかる。こうした展開は、株式や金利や為替といった金融先物、穀物・原油・貴金属といった商品先物ともども、現物と先物に跨った総合取引所化へ向けた市場間競争の激しい世界の実態を物語っている。
例えば、2001年の「9.11」テロ事件では、多くの投資家が「下げ」に賭けたが、それは、異常な市場の空気を読み取った投資家が、相場を「下げ」と読んだからである。
が、日本では、「先物の売りによる暴落」を予想するだけで、陰謀論者のレッテルを貼られることが多い。そうしたことを懸念するあまり、「先物での売り」が招く市場リスク研究が未熟である。9.11とプット・オプション取引の関係に関する欧米のシンクタンクや大学における研究蓄積とは対照的である。
そして、今や日本の財政逼迫は一目瞭然だが、財政収支改善が見込まれず、政府負債がかさむ事情の中では、日本国債先物や日経225先物への悲観的ムードが高揚し、「売り」に賭ける投資家が増大すれば、「下げ」で暴利を狙うプット・オプション取引が増大し、相場が暴落する可能性は否定できない。
大阪取引所の先物取引は、いずれも、東証の直物取引をはるかに上回る海外投資家の席巻ぶりである。そうしたムードを一蹴して相場を上げ基調に操縦するには、財政事情の改善に向けた不退転の姿勢と同時に効果ある景気刺激策によって、投資家の「読み」を一蹴するしかあるまい。
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