大津事故で見えたマスコミのミスと人々の悪意

感情論で終わらせていては本質に辿りつかない

しかし、事件の大小にかかわらず、「加害者だけでなく被害者からも話を聞いて全容をつかむ」、さらに「そこから得られるものは何なのかを考える」のが記者たちの仕事。無慈悲に見える質問が結果的に保育園の潔白を証明し、「♯保育士さんありがとう」のツイートが広がったように、「どんな園児がどのような散歩を行っていたのか」は、泣き崩れた園長や園児を守ろうとした保育士のためにも聞くべきことだったのです。

つまり、マスコミのミスは、事故を起こした加害者に関する報道よりも先に、被害者の保育園への質問を重ねたこと。「伝えられるものから見せていく」という時系列に沿った報道姿勢が、「マスコミは保育園を悪者にしようとしている」という印象を与えてしまったのです。「会見が思っていたよりも早かった」というエクスキューズこそあるものの、その様子が生中継・生配信されることを踏まえると、明らかにうかつだったと言えるでしょう。

私自身も取材をさせてもらう機会がありますし、ここで「マスコミが悪とは言い切れない」と書けば批判もされるでしょう。古くから「当事者への取材や事実の追求は、加害行為を伴う」と言われる難しいものだけに、今回の会見では「よい記者と悪い記者の差が出た」のではないでしょうか。

悪意は発散できず体内に蓄積される

次に気になったのは、マスコミを批判していた世間の人々。今回の事故は未来のある子どもたちが被害者だったことで、「誰かを悪にしなければ気がすまない」というムードが充満していました。

しかし、最大の悪である加害者の情報が少ないうえに、多くの人は「おそらく悪意はなく、しばしば人間が起こす過失だろう」と思っていました。そんなときに、泣き崩れる園長と質問を続けるマスコミの構図を見たことで、正義と悪のイメージが固まったのです。

今回の加害者は「無職の中高年女性」であり、悪とみなして猛攻撃するほどの大きな存在ではありません。一方、マスコミは新聞社やテレビ局などの「巨大組織」であり、巨悪とみなすには格好の存在。こうして「マスコミを叩け」という人々の悪意が増幅していきました。人々は「悪意のある質問をするマスコミは悪だ」と決めつけたことで、似たような悪意を持ってしまったのです。

ところが、このような悪意は、思っている以上にやっかいなものであることに気づいている人はあまりいません。直接的な被害者が加害者に悪意を持つのは当然ですが、それが体内に宿り、なかなか消えないことが苦しみとなっていきます。これは直接的な被害者ではない人も同様。悪意を自らの体内に宿すことになり、それがどの瞬間に飛び出すかわからない状態になってしまうのです。

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