東芝の車谷会長兼CEOに就任1年で見えた光景 「偉い人」を輩出してきた巨艦はどこへ向かう

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ましてや、「強い経営者」が大失敗することなど、誰が予測できるだろうか。つまり、「企業広報大賞」を受賞した経営者(企業)が後に大きな失敗を犯すことなど、選考委員の誰も予想だにしなかった。

東芝で起こった大きな失敗は、2015年に表面化した不適切会計処理問題である。2008年4月から2014年12月にかけて計1562億円の利益過大計上が明らかになった。減損処理を含めた過年度利益の減額修正は、2248億円に上った。

これを受けて、西田氏、佐々木則夫氏、田中久雄氏の歴代3社長、取締役、常務執行役ら10人が辞任に追い込まれた。「社員に対してパワハラにより不正会計を強いたのは、佐々木、田中両元社長であり、西田氏は手を染めていない」という東芝関係者の声も報道されているが、真偽のほどは定かではなく真実は西田氏の死により闇に葬られた。

2代前に同じく社長・会長を務めた西室泰三氏(享年81歳)が亡くなった約2カ月後の2017年12月8日、西田氏は後を追うようにして鬼籍に入った(享年73歳)。胆管がんを患い9時間にも及ぶ手術を受けて3カ月間入院。退院後、自宅で療養していたところ、急性心筋梗塞を発症し、東芝の再建問題が長引く中、人生に終止符を打った。

ここで、西田氏のプロフィールを改めて紹介しておこう。

眼前のリスクにも、積極果敢に挑戦していく姿勢

三重県尾鷲出身。早稲田大学第一政治経済学部を卒業後、東京大学大学院法学政治学研究科に入学し研究者を志していた。その頃、運命の出会いが。イラン人留学生のファルディン・モタメディさんと結婚。そして、イランに渡り、東芝と現地資本の合弁会社に入社したのだった。1975年5月、東芝に正社員として入社した。そのとき、西田氏は31歳になっていた。

入社9年目にして欧州法人の上級副社長に昇格し頭角を現した。社長候補として注目されだしたのは、「ノートPC世界一」を実現してからだ。ところが、栄華を誇ったのもつかの間。デルに首位の座を奪われ2003年度には474億円もの損失を出した。だが、「1年で黒字転換させてみせます」と宣言し、2004年度中に公約を達成した。この復活を導いた手腕が認められ、2005年には社長へ上り詰める。

2005年の社長就任後、世界的な原子力発電所の需要増加を見込んで、アメリカ・原子力大手ウエスチングハウス(WH)を6000億円強の巨額を投じて買収。その後の逆風は、数々の報道にあるとおりだ。

西田氏の人生を振り返ると、公私ともども、眼前にリスクがあっても、積極果敢に挑戦していく姿勢が散見される。さて、なぜ、「偉い人」になりたい男性は、目の前にリスクがあっても、それを乗り越えて大きな目標を達成しようするのか。

その1つの原因が、男性ホルモン「テストステロン」が多いことである。同ホルモンは、見た目の男性らしさを形成するだけでなく、リスクがあってもチャレンジする、集団の中で自分を表現し、意思を主張する、といった行動を促す。

統計的には、加齢とともにテストステロンは減るとされているが、中には何歳になっても、社会との接点があり、自分を表現していると高い水準で維持されることがわかってきた(女性もテストステロンを有しており、比較的多い人もいる。どの女性も閉経後は増える)。

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