東芝の車谷会長兼CEOに就任1年で見えた光景 「偉い人」を輩出してきた巨艦はどこへ向かう
このうち、東芝の授賞理由として、経済広報センターは、次のように記している。
「社内コミュニケーションを積極的に行い、経営方針や会社施策の共有化を図った。また、事業の再編や他社との提携など重要な案件については、経営トップを中心にマスコミへの対応を行ったほか、ステークホルダーに対する事業活動理解の促進に尽力し、その広報手腕が評価された」
確かに、当時から現在に至るまで東芝の広報スタッフは、トップ広報に熱心である。マスコミの間でも、その誠意ある対応は高く評価されている。
筆者は1978年から東芝をウオッチし続けている。その間、歴代トップにインタビューを申し込んだ際、いつも、てきぱきとアポイントメントを取り対応してくれた。不正会計や事業売却、さらには、西田氏と後任の佐々木則夫社長との確執などが表面化する中においても、サラリーマンスタッフが許される範囲であったかもしれないが、積極的に情報開示に努めてきた。とはいえ、経営は結果であり非情である。
「企業広報賞」の選考委員を務めた、新聞社の経済部長、ビジネス誌編集長などのジャーナリスト、大学教授、シンクタンク代表などは、この結果を予測できていれば、授賞対象としなかったことだろう。
かくいう筆者も同賞の選考委員を務めたことがある。だから、同賞審査委員会の舞台裏は熟知している。先行委員たちの発言を思い出せば、ジャーナリストの比率が高かったこともあり、ジャーナルな(日々の)現象を見て、審査していたと考えられる。
明日のことさえ、誰もわからない
個々のジャーナリストの活動を見ていると、一貫してある人を賞賛、もしくは批判している人は確かにいる。しかし、その人の主張が当たったとしても、占い師ではあるまいし、たまたまなのである。
高く評価されていた経営者が墓穴を掘ったとき、そのジャーナリストは、「私は昔から批判していた」と鬼の首をとったかのように書きたて、賞賛していた著書やその書き手をやり玉にあげ、提灯記事を書いていた「御用ジャーナリスト」としてこき下ろす。まさに、すべてお見通しの神の如く。
一方、ビジネス誌のバックナンバーを調べてみると、ある時期はほとんどの雑誌が「強い経営者」を賞賛。かと思えば、同じ雑誌、それも時には、同じ筆者が手のひらを返したように以前賞賛した経営者を批判している。しかし、ジャーナルであるからジャーナリストであるからと考えれば当然の行動と解釈してもおかしくない。
人生における重要な意思決定である結婚でさえ、人は合理的に意思決定できていない。ちなみに、脳科学の知見によれば、恋愛中の脳は麻痺した状態にある。今や、日本では3組に1組が離婚しているという現実は、脳が正常な状態に戻ったときに起こっている。要するに、人は完全無欠な条件の下で意思決定しているわけではない。ましてや、未来のこと、いや、明日のことさえ、誰もわからないのである。
最近、交通事故の悲しいニュースが続いているが、その被害者および家族は、皆、明日があることを信じていたはずである。ノーベル経済学賞を受賞した著名な研究者でさえ、「リーマン・ショック」を警告できなかった。地震学者の叡智を結集しても東日本大震災は予測不可能だった。
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