筆者が興味深く見ているのは、ビットコインが「おカネ」というものの性格を如実に見せてくれるからだ。
つまり、おカネとは何かと言われれば、ほかの人がおカネとして受け取ってくれるもの、という堂々巡りの定義しかできない、摩訶不思議な代物だということだ。
おカネには実体がある必要すらない
法律で税金や賃金などを含む金銭債務の強制的な弁済手段として受け取りが義務付けられた法貨(法定通貨)という考えもあるが、それはむしろおカネが生まれてから後に出てきた性格だろう。
金や銀などの貴金属がおカネの価値の後ろ盾という考えもあった。しかし、第2次世界大戦後のブレトンウッズ体制では、各国の通貨に対する金の裏付けは米ドルを通じた間接的なものとなり、1971年のニクソン・ショックで米ドルと金の交換が停止されると、おカネは金との関係を完全に失った。
ビットコインはインターネット上に保有量が記録されるだけのおカネで、実体はない。しかし、われわれが日常使っているおカネである「円」も、1万円札を自宅の金庫や貸金庫に大量に保有している人は少ないだろう。何百万円というおカネも、大体の場合は銀行預金という通帳の上の数字でしかない。ネット銀行を利用していれば、預金残高はパソコンの画面に表示される銀行のコンピュータの上の記録でしかない。政府や中央銀行が関与しているかどうかという点は異なっても、実体がないという点では、通常のおカネもビットコインも五十歩百歩というところだ。
そもそも、おカネとは何かといえば、教科書では、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保蔵」の機能を持ったものと定義しているだけだ。つまり、この3つの機能を果たすのであれば、貝や石でも形はどうでもよいわけで、皆がおカネとして受け取ってくれさえすれば要するに何でもよいのだ。おカネには、実体がある必要性すらないということをビットコインは教えてくれる。
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