なぜ「経済科学賞」と呼ばれるのか
私は今年のノーベル経済学賞をシカゴ大学のユージン・ファーマ、ラース・ハンセン両教授とともに受賞した。が、受賞を通じて、経済学は同じくノーベル賞の対象である化学や物理学、医学と違って、科学ではないという批判を強く意識することになった。はたして、この批判は正しいのだろうか。
経済学の問題の一つは、どうしても基本原理の発見よりも政策に焦点を合わせるということだ。政策に対する指針としてでなければ、誰も本気で経済データを気に掛けたりしない。経済現象は、原子の内部共振や小胞体などの生体細胞小器官の機能のように自然に人を魅了することはない。経済学は何を生み出すことができるかで判断される。なので、経済学は物理学よりは工学に近く、精神的というよりは実践的である。
ノーベル工学賞はないが、あってしかるべきだ。確かに今年の化学賞は少しばかり工学賞めいている。というのは研究者3人の受賞理由は、磁気共鳴装置を作動させるコンピュータプログラムの根底にある「複雑な化学システムの多重スケールモデルの開発」だった。しかし、ノーベル財団は経済学賞を検討する際には、このような実践的な応用にもっと注目せざるをえない。
問題は、経済政策にいったん焦点を合わせると、科学でないことが多くかかわってくることだ。政治が関与し始め、政治的なジェスチャーが人々の注目という見返りを受ける。ノーベル賞は、注目を得るために策を弄することがなく、真実の追求に一途なため冷遇されかねない人々に授与することを狙いとしている。
ではなぜ、正式には「経済学」ではなく「経済科学」賞と呼ばれるのか。
大衆の気持ちをつかみ、変人が皆の意見に一定の影響を持つとみられる分野に、「科学」がつく傾向があるようだ。「科学」とつけるのは、評判の悪い類縁と区別をつけるためだ。
「政治科学(政治学)」という用語が使われ出したのは18世紀後半で、真実の追求よりも影響力の行使や票の確保を目当てにした党派的な小冊子から一線を画した。「天文科学」は19世紀後半によく使われた用語で、占星術や星座に関する古代神話の研究と区別しようとしたものだ。
その頃は、こうした用語が必要だった。風変りな「類縁」がより大きな影響力を持っていたからだ。
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