50年前の11月、ジョン・F・ケネディ大統領は米テキサス州ダラスで暗殺された。この悲劇的な出来事は、米国が無垢さを失ったことを象徴していると見る向きは多い。もちろん、これはナンセンスだ。米国の歴史はほかの国と同様、血塗られてきた。
が、振り返ってみると、米国の威厳はケネディ大統領の時代がピークだったようだ。暗殺される約5カ月前に同大統領は冷戦最前線のベルリン中心部に集まったドイツ人の大群衆を熱狂させた。
ベルリンの人々にとってケネディの米国は自由と希望の象徴だった。彼と妻のジャクリーンは若々しく、華やかかつ豊かで、善良なエネルギーに満ちていた。米国は尊敬の対象であり、モデルであり、悪に満ちた世界において善なる力だった。
このイメージはケネディ、弟のロバート・ケネディ、キング牧師の殺害、そしてケネディが始めたベトナム戦争によって、まもなくひどく損なわれた。もしケネディが大統領の任期を全うしていたならば、彼が引き起こした大いなる期待にかなわなかった可能性は大きい。
過度な理想主義によって米国の威厳は低下している
米国民が最初の黒人大統領を選出した際、ほんの一瞬だけ、米国が1960年代初期に持っていた威厳の一部を取り戻したかに見えた。ケネディ同様、オバマ大統領は選出される前にベルリンで熱狂的な約20万人の群衆を前に演説を行っている。
が、彼がベルリンで「約束」したことは現実のものとはなっていない。それどころか、米国の威厳は2008年以降、低下し続けている。経済的な不均衡はかつてないほど深刻で、高速道路や橋、病院、学校など社会的インフラも老朽化しつつある。中国や新興国の主要な空港と比較すると、ニューヨーク市周辺の空港は今や簡素にさえ見える。
一方、外交政策においては、米国は威張り散らすいじめっ子か、躊躇する臆病者とみられている。たとえば、メルケル独首相など米国に最も近い同盟諸国はスパイ行為を受けていたことに激怒している。ほかの国々、特にイスラエルとサウジアラビアは米国が弱腰であることに嫌悪感を抱いている。ロシアのプーチン大統領でさえ、オバマ大統領と比べるとまともに見えてくる。
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