日本社会の未来を知りたければ「団地」を見よ 外国人とともに生きることが当たり前に

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──団地は成長のシンボルだと。

団地の必要性が叫ばれて、住宅公団が設立されたのは1955年。「もはや戦後ではない」(1956年度の経済白書の文言)という時期から、住宅難の解消が経済成長のドライブの1つになりました。そして団地は住居をもたらしただけでなく、大衆の生活を変えました。

例えば食寝分離。それまでは部屋にちゃぶ台を置いて食事し、ちゃぶ台を片付けて布団を敷いて寝るというのが庶民の暮らしでした。それが団地では食べる部屋と寝室が分かれた。このように、団地は壮大な社会実験の場でした。

僕は昔、佐野眞一さんのアシスタントとして旧満州の取材を手伝ったことがあります。満州は傀儡(かいらい)国家であるといったこと以外に、壮大な実験国家でもあった。超特急・あじあ号は後の新幹線ですし、高速道路も整備されました。同様に、後の団地に相当する集合住宅も建設されました。満鉄(南満州鉄道)の住宅には水洗トイレがあり、トイレを流す生活がどんなものなのかを日本に先駆けて実験したわけです。

外国人は日本に必要な「栄養」

──庶民は生活が変わることで初めて、経済発展を実感できます。

その意味で団地は経済成長の風景であり、近代そのものでした。その団地が1990年代に入り、高齢化が進み静かな空間に変わります。同時に外国人によって、また違った色彩も帯びるようになった。僕はそれを、団地が新しい栄養を取り入れたように思ってきました。

──外国人は栄養ですか。

日本に必要な栄養だと思います。外国人によって団地や日本が汚されると拒否反応を示す人もいる。でもその反応は、日本が新しい道に進むときの生みの苦しみであり、ある種のハレーションだと思っています。そして今私たちが享受する現代日本の豊かさや多様性は、数々のハレーションをのみ込んできた結果ではないでしょうか。

団地は外国人が増え、混沌としています。でもこの混沌こそが力強い社会の原動力だと僕は思う。だから今改めて振り返っても、「団地はやっぱり明るいぞ」って思うんです。かつて壮大な実験空間だった団地は、団地の外に住む人が知らない間に今また、日本社会を追い抜いているのです。

これから日本は好むと好まざるとにかかわらず、外国人と一緒に生きていかなくちゃならない。彼らの話す言葉が違う、料理の匂いが違う、洗濯物の干し方が違う。一部の団地ではすでに日常となっているこういったことを、日本人が肯定的に受け止めていけるかどうか。日本社会全体が団地に試されているのではないでしょうか。

杉本 りうこ フリージャーナリスト

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すぎもと りうこ / Ryuko Sugimoto

兵庫県神戸市出身。北海道新聞社記者を経て中国に留学。その後、東洋経済新報社、ダイヤモンド社、NewsPicksを経て2023年12月に独立。

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