「山本権兵衛」元総理の心温まる愛妻物語 豪快でありながらロマンチックな総理だった

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計画をうちあけられたとき、仲間たちは「権兵衛は頭がおかしいのではないか」と思っただろう。将来が嘱望されたエリートで、縁談もよりどりみどり。確かに美人ではあるが、何も遊女を妻にしなくてもいいではないか。しかも強奪という手で。

頭を冷やせと諭した仲間もいたことだろう。けれど、山本の決心は変わらなかった。

「ときを強奪して、妻にする。だから、手伝ってほしい」

この真剣さが彼らを動かした。恐らくこのとき山本は、自分が真剣に思い実行しようとすれば、人は動いてくれるということを身をもって知ったはずである。この信念を通す強さが後に、日本の海軍を世界に通用する組織へと育て上げていくのだ。

かくして1876(明治9)年9月、山本とその仲間たちはある晩、夜の闇にまぎれてボートを遊郭に横付けして強奪計画を実行したのである。もちろん、ただではすまされない。普通ならば遊女にも、それを手助けした者にも処罰が待っている。

しかし、相手は大得意の海軍関係者。箸屋は身請け金で解決を求め、山本もそれを受け入れた。結局、当時の彼の月給に匹敵する40円で話がつき、晴れてときは自由の身となったのである。

誓約書を交わした

この直後、山本はドイツ海軍の練習艦への乗り組みを命じられ、世界を回ることになる。日本に帰国したのは翌年5月。さらに翌年の1878(明治11)年、ようやく2人は結婚することになった。

この時、山本は7カ条にわたる誓約書をときに渡した。中身は「礼儀を重んじて質素を旨とする」「夫婦で生涯仲良くすること」「家事の整頓は妻の仕事」「夫婦としての義務を破るのでなければ何があっても離縁は許されない」などなど。

明治のこの時代、誓約書など渡さなくても、妻は当然夫に従うものであった。それをわざわざこのようなものをつくったのは、山本がときを妻として、女性として、1人の人間として尊重し、家庭における責任を、ある程度任せようという意思表示ととっていいだろう。

結婚から2年後、彼が練習艦で兵学校生徒の教育にあたっていたときのことだ。登喜子(結婚後はこう改名)が艦内を見にやってきた。その際、彼は先に立って案内して回ったばかりではなく、妻がボートから桟橋に移るときには、履物を持って先に降り、彼女の前にそろえてやったのである。

そもそも妻を軍艦に案内するなど、当時としてはありえないことだった。そのうえ、妻の履物をそろえるなど、みっともないというのが当時の感覚だった。

それを並み居る将官たちの前で堂々と行い、失笑を買っても平然としていた。

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