MMTも主流派経済学もどっちもどっちな理由 「レバレッジを制御できないこと」が問題だ!
このロジックを聞いて、「だまされている」ような感覚を持つ人は少なくないだろう。けれども、少し考えてみると、このロジック自体は簡単には論破できないものであることにも気づくはずだ。
「誰かの借金は誰かの資産」→「国の借金は国民の資産」→「政府債務がいくら増えても会計上は帳尻が合っている」というMMTのロジックは、この限りにおいては間違いではない。そこから、彼らは「主流派経済学者は歯止めなき財政拡張はいずれハイパーインフレをもたらすと批判するが、そんなことはない」→「財政赤字はどんどん拡大すべきである」という結論を導き出すのである。
しかし、このロジックは、「金融政策万能論」に近い考え方を採る現代の主流派経済学である「ニュー・ケインジアン」と、その牙城となっている主要中央銀行(FRB、日銀、ECB)からすると、とてもそのままでは容認できないものである。
なぜならば、「財政赤字を拡大すると国民の資産が増える」というのが事実であるならば、「財政政策がマネーサプライ(=国民の金融資産)を決定するのであり、中央銀行が決定するのではない」と言っているのに等しいからである。若干マイルドな言い方に変えれば、「中央銀行もマネーサプライの決定に関与するものの、財政政策はそれと同じかそれ以上に強く関与する」ということになってしまうのである。
「財政政策が決める」とするMMTの根拠
ここで少し冗長にはなるが、政府が財政赤字を拡大して国債を発行した時に実際に起きていることを正確に描写してみたい。
さて、この長ったらしいプロセスを注意深く見ると、中央銀行はただ銀行の準備預金の水準を一定に維持するためだけに行動している。その結果、政府が国債を1億円発行して減税を実施したことで何が起きたかというと、銀行Aの国債保有が1億円増加し、国民Bの預金が1億円増加している。
そして、政府の財政赤字の額(=政府負債の増加額)と銀行の国債保有(=資産増加)が一致し、銀行の資産増加は国民の資産増加(=預金増加)に見合ったものになっている。ここでは財政政策が国民の金融資産(=マネーサプライ)を増加させているわけであり、中央銀行の働きはひたすら受動的ということになる。
このプロセスをもってMMTの論者は、中央銀行が経済の水準(ここではマネーサプライが重要であるという前提)を決めるのではなく、財政政策が決めているのだと主張している。同時に、財政赤字をいくら増加させても国民の負担にはならないとの議論が展開される。MMTの論者は、そもそも中央銀行はマネーサプライを増減させる能力はないとまで主張するわけだが、上記のプロセスを見る限り、結果として中央銀行はマネーサプライの増減に対して受動的に行動していることは確かである。
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