MMTも主流派経済学もどっちもどっちな理由 「レバレッジを制御できないこと」が問題だ!

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さて、米国の経済論壇を騒がせているMMTなるものの本質は何なのか。

クルーグマン先生も解説してくれているように、アバ・ラーナーの「機能的ファイナンス」といった古めかしい経済議論にその淵源があるようだ。当のMMTを主張する学者たちもまた、そう認めている。ラーナーの議論を踏襲するMMTの主張を簡単にまとめると、①金融政策が民間の経済活動に対して適切な水準に金利をコントロールしてさえいれば、あとは財政政策で完全雇用とインフレ目標を100%達成できる、②財政赤字はどれだけ拡大させても問題は起きない、という2点に尽きる。

このMMTの主張に対して、クルーグマンなどは先に述べたように、「金利がゼロ%の下限に達した場合には財政拡大はOK」と言っているので、その論は「MMT批判」のようでいて、実際にはMMTの「限定容認」になってしまっている。クルーグマンの場合、「ある段階までは金融政策、ある段階からは財政政策」という2段階の政策を主張しているのだが、完全雇用を達成するまでは政府と中央銀行が需要を無制限に創出すべきであり、政府も中央銀行もその能力を持っていると主張していることにおいては本質的に変わらない。

「主流派経済学者」といっても、現代の米国においてはかつてのようなガリガリの新古典派、新自由主義信奉者はすでに多数派ではない。市場調整機能の限界を所与とした上で政府や中央銀行の積極的な需要創出を支持するいわゆる「ニュー・ケインジアン」が現代の主流派といってよい。

ニュー・ケインジアンは公的部門の経済への介入を積極的に容認するのだから、政治的には「リベラル」との親和性が高い。そのため、彼らがMMTを批判してもしょせん迫力に欠けるのだ。ましてやクルーグマンなどは、主流派の範疇からもやや外れており、主張そのものはオールド・ケインジアンに近い。そのクルーグマンがMMTのような議論を批判するのは、どこか滑稽なのだ。

MMTは会計上の資産負債の一致を述べているだけ

こう言ってしまうと、MMTをめぐる論争は、現代の主流派経済学者のうち多数派を構成するケインジアン(=ニュー・ケインジアン)と、もっと古風で先鋭的なケインジアン(=MMT)の「五十歩百歩対決」なのだと結論づけてしまってもよいように思えるが、実際にはもう少し複雑な要素を含んでいる。

アバ・ラーナーに端を発するところの「財政赤字はいくら増やしても何も問題ない」という主張だけを取り出していえば、これはレーガン減税の理論的根拠にもなった「ラッファー・カーブ(=減税すれば経済成長によって減税額以上に税収が増えるという主張)」のような「ブードゥー経済学」のようにも聞こえるのだが、さすがにそれでは議論が粗すぎる。

ラーナーが主張し、MMTが受け継いでいる最も重要なコンセプトは、「誰かの負債は必ず誰かの資産」ということである。どういうことかというと、「財政赤字(=政府の負債)によって減税を実施すれば、国民は減税によって貯蓄(=資産)が増えるので、つねに発行された国債の額と国民の資産増加額は会計的に一致する」ということである。そうであれば、財政赤字によってどれだけ政府の債務が積み上がったとしても、それに見合った国民の資産は増加しているのだから問題はない、というのである。

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