山田邦子「女芸人の未来開いた」偉大すぎる功績 「お笑い史上最も売れた」彼女の孤独な戦い

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山田は、よく言えば芸人の枠に収まりきらない自由な存在だった。ただ、悪く言えば芸人になりきれない中途半端なところもあった。若手時代の山田は怖いもの知らずだった。1985年には円形脱毛症に悩まされて突然、丸坊主にしたこともあった。常識にとらわれない思い切りのよさも彼女の持ち味だった。

だが、そんな彼女は売れていくにつれて、徐々に息苦しさを感じ始めた。特に窮屈さを感じていたのは「好感度No.1」の称号だった。

好感度ナンバー1って、嫌なもんです。100点とると、次95点とってもほめられないでしょ。私はずっとそういう運命なんです。学生時代からオール5でしたし、常に100点目指してたから、ちょっとやそっとではほめられない。いつかは80点に、ある日60点ぐらいになってしまうんだろうという気持ちは、ずっとありました。ほめてもらっていても、私のどこが好きなんだろうって、ずっとひっかかっていました。
(『婦人公論』1998年12月7日号)

山田邦子が残した大きな功績

誰よりも自由だったはずの山田が、誰よりも縛られていた。当時はまだ女性タレントがどこまでも自由に振る舞える時代ではなかったのだ。

この記事は、『教養としての平成お笑い史』に掲載した内容の一部を加筆修正したものです(書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします)

女性は、伸び伸びとしているだけで疎ましく思われてしまう。男性には嫌われ、女性には嫉妬される。今でもそういう空気は残っているが、当時はそれがもっと強かった。

女性芸人はそれ以上出世できない「ガラスの天井」にぶつかり、山田は撤退を余儀なくされた。そういう時代だったのだ。

紆余曲折を経て、2000年に山田はあの男性プロデューサーとの結婚を果たした。現在も芸人であるという自負を持ち続け、若手芸人に交じって事務所ライブでネタを披露したりすることもある。「お笑い史上最も売れた女芸人」である山田邦子は、その孤独な戦いによって、後世の女芸人が活躍する道を切り開いた。

ラリー遠田 作家・ライター、お笑い評論家

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らりーとおだ / Larry Tooda

主にお笑いに関する評論、執筆、インタビュー取材、コメント提供、講演、イベント企画・出演などを手がける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)など著書多数。

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