山田邦子「女芸人の未来開いた」偉大すぎる功績 「お笑い史上最も売れた」彼女の孤独な戦い

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1986年、ビートたけしは講談社フライデー編集部を襲撃する事件を起こし、約半年にわたって芸能活動を休止した。このとき、たけしのレギュラー番組はほとんどそのまま継続された。そこで、いくつかの番組でたけしの代打として起用されたのが、当時同じ事務所の後輩だった山田だった。ここで山田は見事に役目を果たし、その名をさらに広めた。

冠番組「やまだかつてないテレビ」

1989年10月に『オレたちひょうきん族』が終了したのと同じタイミングで、山田邦子の冠番組「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」が始まった。トーク、コント、ものまね、音楽など、さまざまな企画を繰り広げる総合的なバラエティー番組だった。

番組のテーマソングであるKANの『愛は勝つ』、大事MANブラザーズバンドの『それが大事』はいずれもミリオンセラーを記録した。山田自身も、オーディションで選ばれた横山知枝と一緒に、当時人気だった女性アイドルデュオ・Winkのパロディーユニット「やまだかつてないWink」を結成して、『さよならだけどさよならじゃない』などのヒット曲を世に送り出した。

『さよならだけどさよならじゃない』は、山田自身が作詞を担当していた。曲を作ったKANが山田に「いい詞だね」と褒めたところ、「私は天才だから」と笑って返されたという。当時の山田は天真爛漫な明るいキャラクターで知られていた。下ネタも暴力ネタもいっさいない彼女の作る笑いは、同時代の男芸人のそれとはまったく別物だった。

『クイズ!年の差なんて』『MOGITATE!バナナ大使』などの人気番組を多数抱え、バラエティーの女王として君臨した山田は、確かにこの時期、「天下を取っている」という表現にふさわしい状況にあった。ポジティブで健全なイメージだったことから、CMにも多数出演していた。NHKの「好きなタレント」調査では、1988年度から8年連続で女性部門1位を獲得。圧倒的な人気を誇っていた。

女性タレントのつねとして、独身だった彼女は恋愛について聞かれることも多かった。そういうときにも、芸人である山田は特に隠し立てをすることはなかった。もともと結婚願望があることは公言していたし、具体的に付き合っている人や好きな人がいれば、そのことを率直に話していた。気になる存在として田原俊彦、西城秀樹、中井貴一、東幹久ら、その時々で憧れているアイドルや俳優の名前を出すこともあった。

その発言が女性視聴者にも好意的に受け止められていたのは、現実味のないただの冗談だと思われていたからだろう。超一流の男性スターと山田とでは格が違いすぎるため、嫉妬の対象になることもなかった。

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