山田邦子「女芸人の未来開いた」偉大すぎる功績 「お笑い史上最も売れた」彼女の孤独な戦い

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ところが、そんな状況が一変する出来事が起こった。写真週刊誌『FOCUS』1995年12月13日号で、44歳のフリーのテレビプロデューサーを自宅に泊まらせていたことが報じられたのである。男性は『山田邦子のしあわせにしてよ』(TBS系)のプロデューサーを務めていた人物。彼は一人暮らしの山田の家にたびたび出入りするところを目撃されていた。

これがただの健全な恋愛話で終わらなかったのは、彼が妻子持ちだったからだ。山田は不倫をしている疑惑をかけられたのである。彼女は「恋愛関係ではない」と弁明したが、その後も2人の関係は続いていた。

不倫報道で大バッシングを受ける

続報として、男性プロデューサーの妻が2人の娘を連れて夜逃げ同然で彼の家から引っ越したことも報じられた。妻は離婚に応じるつもりがなく、山田と彼は「不倫地獄」に陥っているという(『週刊女性』1996年11月12日号)。この報道がきっかけで、週刊誌で山田のバッシングが始まった。

彼女にとって痛手だったのは、女性からの反発が大きかったことだ。そもそも山田のファンの多くは女性だった。同性に嫌われる不倫疑惑をかけられたことは致命的だった。

これ以前にも、山田は恋愛問題で芸能リポーターにマイクを向けられて、激しい口調で罵詈雑言を浴びせたことがあった。当時その映像がワイドショーなどで何度も使われ、彼女の印象を悪化させていた。

レギュラー番組も徐々に減り始めた。特に大きかったのは、1997年に昼の帯番組『山田邦子のしあわせにしてよ』が終わってしまったことだ。『笑っていいとも!』『午後は○○おもいッきりテレビ』などの裏番組を打倒するために1995年に満を持して始まったのだが、視聴率ではまったく歯が立たなかった。

タレントにとって帯番組は諸刃の剣である。いったん引き受けると拘束時間が増えてしまうため、ほかの仕事が入れられなくなる。しかも、それが打ち切られてしまったら、一気に週5本の仕事を失ううえに、勢いが落ちたと思われてほかでも声がかかりにくくなる。

山田もこのわなにはまっていた。同じ1997年度にはNHKの「好きなタレント」調査でも山口智子に1位を奪われ、首位から陥落した。こうして山田の「天下」は終わった。

山田は初めからどのジャンルにも属さない特別なタレントだった。女優業でデビューした後、芸人として活躍していたが、お笑いの世界ではひそかに疎外感を感じていた。山田には師匠もいないし、楽屋でもいつも独りきりだったからだ。

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