山田邦子「女芸人の未来開いた」偉大すぎる功績 「お笑い史上最も売れた」彼女の孤独な戦い

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「唯一天下を取った女芸人」と言われたほどの山田邦子だが、その裏に隠された孤独に戦ってきた彼女の素顔に迫る(写真:つのだよしお/アフロ)  
平成の終了まで、あとわずか。この31年間、島田紳助や上岡龍太郎の引退、人気番組『笑っていいとも!』の終了など、お笑い業界にも大きな変化があった。「日本で最初にブレークした女芸人」こと山田邦子の登場も、その1つ。平成の世を駆け抜けたお笑い芸人の歴史と事件を振り返った『教養としての平成お笑い史』(ラリー遠田・著)から、一部抜粋してお届けする。

「お笑い史上最も売れた芸人は誰か?」というのは難しい質問である。だが、「お笑い史上最も売れた女芸人は誰か?」と問われたら、1人の名前が真っ先に思い浮かぶ。

ピーク時には週14本のレギュラー番組を抱え、8社のCMに出演。映画、ドラマの出演も多数、CDや小説を出せば軒並みベストセラーに。NHKの「好きなタレント」調査では8年連続で女性部門1位を獲得。本人の話によれば、当時の月収は約1億円。

女芸人の質・量ともにかつてないほど充実している現在でも、全盛期の彼女の実績を超えられそうな人材は見当たらない。女芸人史上最強のモンスター、それが山田邦子である。彼女はその圧倒的な実績から「唯一天下を取った女芸人」と言われている。

だが、ピークを過ぎると人気は下降線をたどり、あっという間にテレビで見る機会が激減してしまった。その人気凋落のきっかけの1つとなったのは、週刊誌で報じられたテレビプロデューサーとの不倫騒動だった。

「好感度No.1タレント」としてみんなの人気者だったはずの山田が、一転して激しいバッシングの対象となった。頂点に上り、そして落ちていく中で、彼女は何を思っていたのだろうか。

山田邦子の原点は「教室芸」

山田邦子は、中学から短大まで「お嬢様学校」と言われる私立の川村学園に通っていた。バスガイドのものまねやレコード大賞の授賞式のものまねなどのネタを披露して、クラスメートを笑わせていた。女子校で自分と似たような感性を持つ同性のクラスメートを相手に披露していた「教室芸」が、彼女の原点になっている。

彼女はその芸を武器にして、高校時代から素人参加型のお笑い番組に片っ端から出演して、賞金稼ぎをしていた。

それがプロデューサーの目に留まり、『野々村病院物語』(TBS系)というドラマで看護師役として抜擢されることになった。ほぼ同時期に『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ系)の芸人オーディションのコーナーでも5週勝ち抜きを果たし、プロの芸人になる資格を得た。

それからわずか半年後の1981年には『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)のレギュラーに抜擢された。ここでは男芸人たちに交じって「ひょうきん絵かき歌」というコーナーを担当したり、歌手のものまねなどを披露したりした。芸達者で紅一点の彼女は、何でもありのこの番組でその才能を開花させた。

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