29歳東大院生が「書類選考」で落ち続けたワケ 80社応募して内定を1社も得られなかった

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不安がピークに達したある日、いっそ障害者枠で働いたほうがよいのではと考え、専門の転職サイトに登録してみた。しかし、担当者からはきっぱりと「収入は間違いなく下がります。今の会社から支援を受けられるなら、転職は勧めません」と言われたという。

現在、フユキさんの年収は約400万円。自分でも調べたが、障害者枠で転職した場合、収入は悪ければ半減、そもそも正規雇用の求人がほとんどないことがわかった。非正規雇用では、つねに雇い止めの不安におびえなくてはならない。

「社内には居場所がないと感じます。かといって、転職しても、(雇い止めの恐れがある)非正規雇用では、かえってメンタルは悪化するでしょう」。会社にとどまるのも苦痛、転職しても待っているのは貧困――。そう考えると、絶望感しかないという。

フユキさんの話しぶりは終始、穏やかだった。物理や三角関数の説明をするときも、典型的な文系人間の私が、ちゃんと話についてきているかを確認しながら、ゆっくりと話を進めてくれた。臨床心理士の見立てと同じく、私もフユキさんからは、発達障害のある人特有のコミュニケーションの取りづらさは、まったく感じなかった。

他人ができることを自分ができないつらさ

最後に、会社の同僚や上司たちに望むことはありますか、と尋ねると、フユキさんは「広い心を持ってほしい。みんなが同じことを、同じだけできるわけじゃないことを理解してほしいです。私の場合は、(人並み以上に)得意な分野もあります」という。

これに対し、私が「会議録の作成や電話対応が不得手だと、打ち明けたのですか」と聞くと、話していないという。理由は、「たぶん、理解してもらえない。『え? そんなこともできないの』と言われてしまうと思うから」。

広い心を持ってほしいと言いながら、自分ができないことを伝えないのは、少し矛盾しているのではないか――。そう言いかけ、私は取材中の自分のある振る舞いを思い出した。

レジで金額が記憶できない、会議録の作成や電話応対ができないというフユキさんに対し、私は繰り返し「一瞬でも記憶できないのですか」「意味がわからなくても、とりあえずメモするということも難しいですか」「(電話相手の)名前だけでも覚えていられないのですか」と尋ねたのだ。

このとき、フユキさんは、大学ノートにメモを取る私の手元を見つめながら、「みんなが普通にできることを、自分はできないんだなって思います」と言ってため息をついていた。

自分が当たり前にできることを、他人ができないということを理解することは意外に難しい。そして、自分はできないことを、多くの人が当たり前にできていることを目の当たりすることのしんどさを思った。

本連載「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。
藤田 和恵 ジャーナリスト

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ふじた かずえ / Kazue Fujita

1970年、東京生まれ。北海道新聞社会部記者を経て2006年よりフリーに。事件、労働、福祉問題を中心に取材活動を行う。著書に『民営化という名の労働破壊』(大月書店)、『ルポ 労働格差とポピュリズム 大阪で起きていること』(岩波ブックレット)ほか。

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