減反廃止は名ばかり、迷走を続けるコメ農政 転作補助金を残したまま強いコメ農業は作れない
減反政策が始まったのは1970年。当時、食糧管理(食管)法で政府がコメを全量買い上げていたが、高く買って安く販売業者に卸すため、食管会計は万年赤字。それを補填する財政負担が重く、生産量を減らすことで、負担の軽減を図った。78年からは転作補助金を導入し、減反を事実上、義務づけてきた。
95年の食管法廃止で、減反はコメ価格の下落を防ぐ生産調整カルテルとして機能するようになり、意味合いは変わった。生産量の抑制で主食米の価格を高止まりさせ、コメ農家の所得を守ることが目的となったのだ。
その後、民主党政権下では“改悪”が加わる。まず、減反を守らなくても、転作面積に応じて補助金が支払われるようになった。同時に、減反の順守を条件として、戸別所得補償制度も導入された。これで、小規模兼業農家がコメ作りを継続しやすくなった。
小規模な第2種兼業農家は家計を給与などの農業以外の収入に頼っている。コメ作りだけ見ると多くの場合、補助金を含めても収支トントンか赤字。補助金のおかげでコメ作りを続けられるが、こうした農家は廃業しても困らない。農地を大規模農家に貸し出せば、地代収入が得られるからだ。
しかし、今回の補助金増額を受けて、小規模農家は主食米よりも有利な非主食米への転作を進める可能性が高い。これでは一向に大規模農家への農地の移動・集中が起こらない。むしろ、減反の“強化”で主食米の生産量が減り、コメの価格が維持され、競争原理の働かない従来の仕組みが温存されてしまう。
その証拠に、減反政策を全力で支えてきた農業協同組合(農協)は至って平穏だ。農協を構成する小規模農家が追いやられる政策ならば、猛反発するはず。ところが、農協を束ねる全国農業協同組合中央会は、今回の政策が「減反廃止」と位置づけられることについて、「誤認に基づく報道」とコメントしている。こうした見解こそ、彼らにとって不利益変更のない改革であることを示すものだろう。