「こぐまのケーキ屋さん」作者が送る快活な人生 「自分も予想しなかった自分」がそこにいた

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「絵はずっと描いていました。ただクオリティーの高い絵を描くより、記号的な絵を描いていました。棒人間が戦っている絵だったり、舞台セットのような、上からの展開図を描いていたりしたのを覚えています。今考えると、コントローラブル(制御可能)な世界を模索していたんだと思います」

中学、高校ともに文化祭ではお化け屋敷を興行した。

評判はとてもよかったのだが、途中からクラスメイトが参加してきた。

「“死体がガバッ!って起き上がる”という僕の演出の横で、“ナース服が患者の首を絞めている”という演出を入れたりするんです。訳がわからない空間になってしまいました。

幼稚園時代の影絵劇のとき感じた“人ってアンコントローラブルだ”という壁に再び突き当りました」

卒業後は名古屋造形芸術短期大学(現在の名古屋造形大学)のビジュアルデザイン学科に進学した。

「短大も、ものすごく楽しかったですね。あんまり好きすぎて、帰りたくなくて、ずっと学校に泊まっていました(笑)」

短大では、学生会に所属していた。専用のプレハブ製の部室があったため、そこに宿泊した。洗濯機を拾ってきて設置したり、ドラム缶を拾ってきてお風呂を作ったりした。

「学校に生えている植物だけでご飯を作ることもありました。友達も一緒に泊まっていました。今でいうテラスハウスみたいな感じでしたね(テラスハウス:男女がシェアハウスに住む様子を映像化したリアリティ番組)」

昔から顔に対する意識が強くマスクに興味があった

短大の卒業制作では、マスクを付けたヒーローのグッズ製作と商品展開のプレゼンをした。

短大の卒業制作で作った金属のマスクが、今つけている仮面の原型です(筆者撮影)

「オリジナルの金属のマスクを作ったんですが、それが今つけている仮面の原型です。

昔から顔に対する意識が強かったんですよ。例えば口の中を見られるのがとても恥ずかしかったりしました。だから顔を覆う仮面にも強い興味がありました。小さい頃からマスクの持つ魔力に魅了されていたんです」

単位はギリギリだったが、なんとか卒業することができた。卒業後しばらくは、就職をしないでブラブラしていた。

「ブラブラしていることがあまりにつまらなくてビックリしました。学生でもないし、会社員でもない。何にも所属していないのってこんなに面白くないんだ!って気づいて、早急に何かに所属したほうがいいぞって思いました」

カメントツさんは“稼ぎたい”というよりは“貢献したい”と思うタイプの人間なので、それが実感しやすい地元の中小企業に就職した。

「イベント会社のデザイン部門に入りました。デザイン部門と言っても、昼間はイベント会場の設営に駆り出されました。当時は、ガテン系の仕事やってましたよ。実は鉄骨組んだりするのうまいんです」

次ページ数年で退社し25歳で大手企業の工場に勤務
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